なんらかの社会的枠組みが与えられなければ(例:認定、表彰、評判、実績)、個人の語りが代表性〜代理性を持つとは見なされない。
だから当事者性を満たせなさそうな物語をつくり出したいとき、たいていの語り手は本人性〜私性に寄ったナラティブを選ぶほかない(たぶん)。その選択に強いられがあるかは大事だけど、別の話。
本人性を支える叙述というのは詐称や誇張に対して脆弱で、おまけにほとんどすべてのひとは無名〜匿名で語らざるを得ない。稀少でなければ有名人ではないから。
そうなると、自己紹介(や、それに代わる何らかの属性推定メカニズム。例えば「同じ村に住んでいる」「同じ言葉を話す」)が機能しづらい場では、おそらく、私性に頼ったナラティブを選ばないと、そのひとの語りは単独で通用しない。
結果としてインターネットには「お気持ち発言」が……とまでいうと飛躍しすぎか。まぁそんなような気持ちになりました。