本日の過去記事再放送。 の続き。前回までで燈明崎まで到達したのを受けて、浦賀周辺をもう少し巡ったレポートを挟んで、金沢・浦賀道との比較を経て江戸時代の道筋や道幅の問題を考えてみた回。金沢・浦賀道の方は既に一度紹介しているのでそちらを参照してください。最後に記事一覧をまとめました。

【脇往還】浦賀道:鎌倉から浦賀まで(その18:写真集…浦賀おまけ) kanageohis1964.blog.fc2.com/bl
【脇往還】浦賀道:鎌倉から浦賀まで(その19:まとめと道幅の問題) kanageohis1964.blog.fc2.com/bl

【脇往還】金沢・浦賀道と鎌倉・浦賀道:年代の問題 kanageohis1964.blog.fc2.com/bl
【脇往還】金沢・浦賀道と鎌倉・浦賀道:幕末の動き kanageohis1964.blog.fc2.com/bl

【脇往還】浦賀道:記事一覧 kanageohis1964.blog.fc2.com/bl

[参照]

の道筋についての個人的な見解は基本としては変わっていないのですが、戦国時代以前の変遷についてはもう少し掘り下げ直した方が良いかなぁ、とも思っています。三浦氏が力を持っていた頃に内陸交通にもそれなりには力を入れていたとは思うので、何か史料が出てくればとは思っているものの、なかなかそちらまで手が伸びないですねぇ…。

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BTs>可能なら浦賀道以外の 内の街道、特に三崎までの道筋も一通り見た方が良さそうだなと。ただ、道筋特定に繋がりそうな史料があまりないのよね。 [参照]

@akahoshitomoka ベースになりそうなのが結局「新編相模国風土記稿」に行き着いてしまうのが苦しいですよね。「浦賀道見取絵図」みたいな絵図が他の街道でも残っていれば良いのですが。あとは村絵図がどれだけ残っていてくれるか、ですね。

たしかに村絵図……大矢部のは手元で見られるんですがほかはどうなんだろう。今度図書館で見てみます。三浦古尋録の図もそこまで多くないしなあ……

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