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文筆でいまの八倍くらいは売れたいという気持ちが最近あって、そのくらいの規模になれば面白いと思う人たちを有名無名問わずこちらから実益のある話に誘えるようになるような気がするのだ。知らんけど。

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吉田健一の「わが人生処方」に「先ず友達を二人呼んで飲み食ひするためにする楽みの為に稼ぎ、それが何でもなくなったら五人呼ぶ為にという風にすれば稼ぐ金に意味があ」るという文句が出てくる。たまたま余裕のある生活が送れているならばそれを後ろめたく思って足踏みしてしまうより、せめて近しいところから気前よくご馳走していくようにして、ちっぽけで閉鎖的な範囲であろうがすこしでも再分配を試みるほうがマシ。

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ばかでかい本の発送作業が続いたこの二週間弱で、誇張でなく体が一回り大きくなった。体を作るには本を作って売るのがいいんじゃないだろうか。次は『本でムキムキ 納品筋トレ術』みたいな本を作ろうかな。惹句は「人に本で“体”になる」だ。50部も売れないだろうけれど。

自主制作なのだから自分だけがキャッキャと喜ぶようなものを作ればよくて、たまにうっかり人にも喜ばれると嬉しいくらいの塩梅でいたい。他人の期待ではなく、じぶんの機嫌をとる。

本を売るという口実で会いたい人や行きたい店に押しかけてみるというのも僕は好きだから売るのも好きだけど、これはつくる楽しさとは別の話。

いまの過活動っぷりを考えると夏までに一度バタンと倒れるはずなので、転ばぬ先の杖として初夏の用事をあれこれと仕込んでおく。倒れそうでも、用事があれば歩けてしまうので。

でも投稿すればするだけ本が動くのだ。ううむ。

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しかし自作本を出すと告知やエゴサに励んでしまって健康によくない。

イベントや即売会に参加して人と会うと既刊含め本が動くというのを、自主制作の規模でさえ実感するのだから、もっと大きな市場を相手取るような人たちがどんどんマスへと露出していくのもわかる気がする。

全盛期の喫煙所みたいなノリで読書室を設けてほしい。

宇多田ヒカルってすごくいい音楽を作るなあと思った。今さらなことに今さら気がつくのは大事。

道具はその使用がもたらした結果がすべてだから、話者や書き手の意図というのは関係ないんだよな。失言への対応の錯誤はここにある。

それとは別に「そもそもろくに読めていない=受け手側が手渡された道具を使えていない」という問題もあって、読解力のない人たちが引き起こす事故まで結果論で追認してしまうのも違うとは思っている。

道具としての割り切りと、「とはいえもっと皆ちゃんと読もうよ」という期待とは、いつまでもぐるぐるとせめぎ合っている。

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言葉は嘘をつく道具であり、全面的に信頼するものでもないということが、つねに頭の片隅にある。

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最近は「友だちを作ろう」と言いふらしてるけれど、べつに友だちを沢山つくる必要はない。無際限な交友関係の拡張も、きっぱりとした切断も、どちらもやり過ぎはよくないというだけで、その時々のコンディションでどちらかの極を強調することはあれどそれは一種の方便である。
バランスをとるためにそのときどきで論の重みづけを調整しながら、両極のあいだで塩梅を探るのが大事。どちらかを取るような価値判断はつねにある種の詐術であることを自覚していること。

17時からのおしゃべりイベント、とても楽しみ。配信チケットまだ買えますので、もしよければふらっとご参加ください。
peatix.com/event/3528150

ぐいぐいいって、ダメそうならさっぱり手を引く。多感な頃はとりあえずさっぱりしていたくて、ぐいぐいいくのができなかったけれど、あれはたぶん黙っていれば可愛がってもらえるという前提があったんだろうな。
加齢とともに「初手で好印象を持たれることはない」みたいな心持ちになってからは、とにかく前のめりに売り込んで、きれいに諦めるというのができるようになってきた。

文字がいっぱいあって、自分でも書ける。それがただ楽しい。

だんだん告知がしたいのかただツイートしたいのかわからなくなってくる。ただてきとうに書き散らかすだけならこっちでいい。

イベントや新刊の告知のためにあくせくツイッターにいたらスクリーンタイムの使用制限時間を余裕でぶっちぎってしまう。

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