いちから順を追って考えていけばある命題について、現状における妥当性を判断できるというのが本来の頭のよさであると僕は考えている。
だから膨大な量の情報と動作のカップリングを学習して、自動応答のように高速処理するような姿に対して、頭がいいな、と感じることがない。(AIの「賢さ」みたいなものにピンとこないのもこれが理由かもしれない)。
これは「学校で学ぶようなことを四角四面に守るお利口さんにはわからんかもだが、世間には世間の知というのがあるんだ」というような現場のベテラン語録みたいな話とも違って、こういう暗黙の世間知ほど、思考の節約に特化する形で固定化された情報処理もない。
与えられた前提から疑い、いちいち考え込んでしまうというのが知性なのであって、即断即決は知性の不在でしかない。
たとえものを知っていようが、まるで何も知らないような地点から考えを始めることができるのが頭のよさなのであって、既知を所与のものとして問い直すこともできないでいるというのはむしろ愚かさである。
効率の追求は知的な態度ではないし、それは現状肯定にしか繋がらない。