角川の件と、杉田水脈のアイヌ差別に関するヤフコメ民やTwitter民の"反応"が視界に入って本当に最悪だった。「表現の自由」を「差別する自由」だと本気で思い込んでいる者達の多さに改めて驚かされる。
Twitterを開くとイスラエル・パレスチナ関連のことをきっかけにしたワードがトレンドに並び、それを見るとインプレッション稼ぎの無関係な投稿や、映画や漫画の画像を使った大喜利のような投稿が散見されて、SNSでなにかを発信することの意味がわからなくなってしまいますね(Twitterに限らずどこも似たような感じなのでしょう)。
いくら善意や熱意をもって発信しても、そこに悪意や「笑いのネタ化」を被せて覆うことができてしまう、そういうシステムになってしまっていること、しかしそのシステムを使わなければ発信できない状況にある者もいるということ。言いようのない苦しさがあります。
1つ目)あなたたちは今日の会見を「マイノリティの人たちが法律を変えてほしいと訴えました」と報道をするだろうが、それは考え方の基本を間違えている。トランスの人たちに、法律を変えてほしい理由を説明させるな。そうではなく、考えるべきは、この社会がこの不妊化要件を法律に存置させることの理由ないし正当性である。社会が混乱するから、などと抽象的な理由を挙げて、不妊化要件の正当化は図られるが、ではその正当化理由は、トランスの人たちから生殖能力を奪い、生殖の権利や身体的統合性への権利、私生活を営む権利(家族を形成する権利)、受けたくない医療措置を受けない権利、不妊化を伴う性別適合手術を受けるにあたっての真正な同意を与える環境を守られる権利よりも優越するのか。それを考えて報道して欲しい。これらの権利を踏みにじるだけの正当化理由を、この法を維持することで得られるとされる利益は上回っているのかが、いま問われているということを忘れないように、報道の仕方を考えて欲しい。
窓閉め忘れてたら湯冷めしそう。俄然やる気出した札幌の秋🍂だよね、いつもならそろそろ旭岳が発間接する頃だもの
今日の東京新聞の女子大とトランスジェンダーの記事、相変わらず奥野さん(たち)の丁寧かつ熱量ある取材がベースになっていてよかったです。
他方で、これは当該記事に対する意見ではなく、より一般的なこととして、「○○女子大学が女性を自認する学生を受け入れ」というような表現は、もういい加減マスコミで使うべきでないと思います。理由はいくつもあります。例えば…
・理由1)「自認する性別」という概念は、トランスの人たちにしか適用されない謎概念である。
・理由2)「自認する性別」という言葉を使うことで、トランスの人たちの生活実態が適切に伝わることはおそらくなく、むしろ誤った印象を受け手に与えている。
・理由3)女子大サイドの決定は「入学条件から戸籍の表記が「女」でなければならないという条件を外す」という角度から理解されるべきもの。
・理由4)女子大を受験するトランスの学生から見えている風景としては「戸籍の表記を理由とした入学拒否を撤回」の方がはるかに実態に即しており、そうした排除が存在してきた来歴があり、今も社会のいたるところでその種の排除にトランスの人たちが苦しんでいるという事実を覆い隠してしまう。
知的障害者が「奴隷労働状態」 牧場と北海道恵庭市に賠償求め提訴
https://www.asahi.com/articles/ASR8S63X7R8SIIPE004.html
長い人で45年間、給与なし、障害年金は取り上げ、水道もないプレハブ暮らしを強いられていたという。北海道だが暖房は一部屋のみ。しかも行政(恵庭市)は把握していながら放置してきた。
衝撃的な内容だけど、残念ながら知的障害者を雇用する企業では同種の事件がこれまでに何度も起きている。中には虐待で亡くなったケースもある。
せめて裁判がうまくいくことを願いたいし、この件だけでなく障害者からのあらゆる搾取がなくなってほしい。
男前マーティンにどっぷり。通勤BGMはONE LOVE。もろもろ不作法ご寛恕ください。アイコンはPinter7のQ&Aにて。A book lover, long walker, pub-crawler.