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最近興味が出て来て、言葉と国家、言語と政治みたいな関係についての本を色々読んでるんやけれど。
それこそ、同じドイツ語を話すが国家が異なり。政治的にも国民的にもまんまドイツ語というには違和感があるのでオーストリアドイツ語があり、学校でやるのは標準ドイツ語。というケースの国に住んでる上。
違う言語が同じ国家内に存在するためで国内に対立があるベルギーや、ドイツ語圏とはまた違う雰囲気のフランス語圏も身近にある欧州で生きてると、本当に国家と言葉の政治性にちょっと愕然とするなどしてたんやけれど。

日本で外様というか周縁てきな扱いを受けてる地方方言を母語にしてる身からすると、時折「標準語」とはこれいかに。うちらのは非標準かいなしっつれいな。とおもっていたんやけど。
もしや、この「標準語」の誕生によって真っ先に消滅の危機に晒され、なんなら青息吐息になってしまったのは首都圏、特に東京地方の階級別や地域別の言葉や東京言葉では?と思い当たって。
ふーてんのとらさん?のあれも本来誰かが母語とする大事な東京の一言葉なのでは?とか。「標準語」に淘汰されたんちゃうかとか。
国家統一に言葉の統一が重なるとろくなことならんなぁと。

うちの学部採点厳しすぎでは...という疑念。
過去最高点を取ったゼミの論文の内容が、これまでの定説をひっくり返す系の発見で、それを論文の体裁に整えなおしたものなのだけれど。
これ、ぽっと出の学生に出来るような内容か?というのとすごい運が良くないとこうはならんくないか?というのがある...
それから、明日の試験に向けて勉強しているのだけれど、講義の内容が複雑ではないような気がして(ほぼ問題なく意味がわかる。)おかしい。うちの学部に限って講義が易しい若しくは試験が易しいなどということがあるだろうか...まさか...
という気持ちになり、自分の試験勉強が足りる気がしなくて変な焦りを覚えている。

もうすぐ母の日ということで、今年から養子縁組で母になってくれた実父の奥さんあてにカードを書いた。
偶然手続きをしていた市役所で出会った自分の知り合いに当たり前ですよ。という顔で「今日から娘なんです。」と紹介してくれた。
それが嬉しくて、母の日...彼女にとって良い日になってくれればいいなと思う。
それから、少し未練がましくカウンセラーさんと相談した時に書いた届けるつもりのない実母への手紙を読み返した。母の日だし。
読んでから、縁を切ったことは後悔しないだろうと思った。まだ、その時の生々しかった傷はまだ残っていて。それのリハビリみたいな生活を送っていることを再確認した。
これは私にとっての母の日。

今年も恒例の健康診断からの、結果が来たんだけれど。毎度の如くめちゃくちゃビタミンDが不足してるのとタンパク質と鉄分が不足気味なのを注意されたよね。
ビタミンDに関してはあれよ欧州の冬の日照量少なすぎってやつだし、タンパク質は...わからん。多分体質なんだろうな...
鉄分不足はちょっと気になったのですよ。超低用量ピルを飲み始めたので生理が無いので、鉄分が不足する原因が思いつかないんだよな...去年の話だったら生理が重めなので...で済んだのが、今年生理ないのに鉄分不足...
ふむむ...
ビタミン剤鉄剤を処方してもらったけれども。

今日彼女ちゃんとわんわんと郊外の方に向かってる途中おやすみでサッカーの試合かなんかあったんか小学生中学年くらいの子が友達と駄弁ってて。
私らの方やけに見てくるなぁ。と思ったら、一番小柄な子が
「素敵なわんちゃんですね!!」と声をかけてきはって、それにお礼などを言うてたら
「お付き合いしてはるんですか?!」て今度は聞いてきはるので「してるよー。」と答えたら。
すっごい笑顔で「ええですねー!!!」と一言。

少年。君、すごいな。なんというか、逆のことをする人は結構いるのだけれど、君のように素直に私たちのような人たちに対してしかも友達の前で大きな声で「ええですね!」とポジティブなことを言ってくれる人は本当に少なくて、実はすごく貴重で勇気あることで、君こそ素敵な少年だよ。 ありがとう
:super_igyo:

先学期にめちゃくちゃ楽しみながらやりつつ、誰やこの聖女と一緒に書かれてるおっさん?!となりながら論文を書き上げたゼミですが...
担当教員から
「プレゼンから更に考察と資料を加え非常に素晴らしい研究になっていました!すばらしい!最高得点のできです!」
と評価をもらって、今回入学してから始めて5段階評価で最高の1を取りました!!!
とても...とっても嬉しいうえに、自分のやっていること、楽しいと思って力を入れたことが初めて高く評価を受けて...すごく、努力が報われて、実って...
感動している...嬉しい...

人文学系なので、死ぬ程資料を読まされるのですが、今回の演習はマジで資料をどれだけ読んだか。が如実に現れる授業だったので、他の人の発表聞くとすごい刺激になるし、プレゼンのために過去一みっちり読み込んだ資料のお陰で絵画分析も深められたし...

美術史は資料の読み込みと作品の観察両輪でやっていく学問なんだなぁ。と再確認。
任せろ。読むのも絵画の観察は大得意です。

今日の授業は演習を受けている生徒と指導教員みんなで混み合う美術史美術館を競歩で歩き回り、あーでもない。こーでもない。と絵画の前でやんややんやと議論を重ねる超楽しい授業でした。が超疲れた。

その後に行った借りてる畑の帰りでは彼女ちゃんの隣でうたた寝で帰りました。

メンタルの調子的にどかーん!とネガティブに触れやすい。というのはあるんだけれど、それでも強い感情の発露に影響受けやすいというか、その感情を慰撫する役目を担いつづけてた身からすると、自分の気に入らんことを私にぶつけて私の罪悪感引き出して自分のやりたいようにやってるのでは。みたいな気持ちになってしまって。
とにかく、強い他者の感情の発露にすごい疲れる。

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今日は久しぶりに彼女ちゃんの些細な食い違いで起こった小さな互いのすれ違いからネガティブまっしぐらな思考になり自分も含めて私にも思ってもいないことを思いっきりぶつけてしまう。に巻き込まれて。
本来は誤解を謝れば済んだ話がどっかんどっかんネガティブ誘発して...
彼女ちゃんのネガティブな言葉を真に受けてしまって、結構しんどくなった....疲れた...

筋肉の様子ですか?
腹筋が割れました!!6つです!!!

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ボルダリングを始めて気付いたら一年近く経ったのだけれど、筋肉のつきかたが本当に気持ちいいくらいに付いてとても嬉しい。
と同時に成長期が終わって大分経ってから本格的に始めたスポーツで。今の筋肉のつきかたを思うと、かつて小学生の時から兎に角すごい運動量と食事量でやってた卓球で全く筋肉も肉もつかなかったの、これ成長期で食った分全部成長に使われてて筋肉に回す余裕がなかったからでは?という気付きに至った。
子どもの成長期すげぇ。というのと、年齢で体質変わるってこういうことかぁ。って身を以て体感している💪

カトリックのミサでは信仰宣言を必ず唱える。
その中に聖なる普遍の教会を信じる。事を宣言する部分がある。
「普遍の教会」は私を含めた信仰している人間全てを含むこのカトリック共同体自身を意味している。
だから、私は信じている。どんなにトップが盲目でも、盲者に率いられた集団がコントロールを担っているとしても。
カトリック共同体が盲者の目を明るくさせられる教会であることを信じている。
実際同性愛者への祝福を可能にした。クィアだって存在している聖なる普遍の教会を信じた思いと祈りが伝わったのだと。
だから、次の変革も信じる。私たちが祝福を受けられるようになったのだって、私だけでなく姉妹たち、兄弟たち、その間の人たちが祈ってくれたからだから。
私も祈り信じる。姉妹たち、兄弟たち、その間の人たちのために。

あとバチカンはちょっといっぺん解体しな。

やぶ🏳️‍🌈 さんがブースト

「令和」に改元したとき、詩歌の世界ではそれを寿ぐ作品が頻出して、怖いなと思った。
「生まれながらにして尊い人」なるものを、疑っていない詩歌がだくだくと生まれた。
詩歌は怖いよ。詩歌はリズムで、その音楽的な快楽によって、愛国にも動員されていく……。

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今学期の授業で美術史におけるジェンダースタディーズとポストコロニアリズム概論をとっているんだけれど、学生の中になんというか、BLMの時にall lives matterと主張する。女性研究者のアカデミックでのキャリア構築の問題はお手伝いさんを雇えば解決。という考えの学生が居て。
もともと70年代、80年代頃に現役で男性社会に混じってキャリアを重ねてきた。という年代の学生で。(美術史学部は学部の性格的に退職後にセカンドキャリアで大学に学びに来ている学生が多く、かなり平均年齢が他学部と比べて高めの傾向がある。親世代の同級生とかざらにいる。)
恐らくフェミニズム運動を間近で体験してきたし、当時からのフェミニストという事もあり得るのだけれど。
ただ、男性が多い業界にいたのか男性社会に迎合して溶け込む形で生き抜いて来たのかもしれない。と思わせる人で。
この授業がこれまでの辛さを軽くするものであってほしいなぁと…

日本語教区を担当してる人なので、日本文化や文学、仏教哲学思想にも常にアンテナを張っているし学びを欠かさない人なのだけれど、なにぶん一般日本がちょっと色々と歪んでいるので、ごめんやで…こんなんでなぁ…一般的でない日本人もいるし、日本に括れない文化も過去の哲学思想文学とかも、その数少ない残滓もきっとあなたの琴線に触れるだろう。と思うのだけれど…なにぶんそれが全部青息吐息なんですよ…という気持ち。

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すごく信頼している神父さんと彼女と一緒に夕飯を食べて。いっぱい色んなお話しをしました。
彼女も紹介したかったし、私たちの婚約を飛び上がるほど喜んでくれた人なので…
本当に善き人です。
因みに中華に行ったのですが、汤圆を食べた彼が「神は存在した!!!」とあまりの美味しさに感動してました。ちょっと笑った。

今日彼女ちゃんとひさしぶりにお昼頼もっか。って言って注文したベトナム料理を食べてお腹いっぱいやなぁ。言うた直後二人して寝落ちして。
昨日の面接やら論文でひぃひぃ言うてるのやら早起きで疲れたまってたんやろなー。と。
彼女ちゃんも仕事けっこう忙しいみたいやし…

ここ数日の諸々でちょっと気持ちがぐらっと来たので、学部図書館巡って資料集めたあとはいつものお気に入り市場に行って、チーズ屋さんに挨拶して、家族がすごいおっちゃんのチーズ美味しかった言うてたで!と伝え、いっぱいチーズ(またおまけで4つ買ったら5つになるマジック)を買って美味しそうな果物と絶品ファラフェルと不思議な平べったい美味なパンもゲットして帰りました。
よい人たちの良い味のよい品がお家にあるのは本当に幸せだなぁ。と思います。

あとはあれか。自分に向かって投げつけられる外国人という言葉が自分の内面にある外国人像に影響を与えているが故に想像力の限界を越えられず外国人差別の話で食い違うんだな。
彼女ちゃんが投げつけられる外国人にはオーストリア国籍ではない人という意味が付与されていて彼女ちゃん自身の内にある外国人像も同じくオーストリア国籍ではない人。という像がある。だから彼女の言う外国人はオーストリア国籍ではない人全てを内包しているため私もそこに含まれている。
けれど私に投げつけられる外国人という言葉には非EU圏非ドイツ語圏出身者という意味が付与されていて、私も自分がその意味での外国人だと理解して更に自分の内面の外国人像を作り上げてその意味で外国人と口に出すため私の言う外国人像には彼女ちゃんが含まれない。
人間の想像の限界もある。自分事に置き換えて考える場合自分の語彙と理解の範疇を越えられず、外国人差別の話題になる外国人は脳内で私と似た姿をしている。決してヨーロッパ人の見た目でドイツ語母語の姿をしていない。寧ろオーストリア国籍を持っているが見た目がヨーロッパ人ではない人も私の外国人像に含まれる。
そこがあるから話が食い違うんだな。

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