大学の今学期のゼミがウィーンのバロック祭壇画についてで。
選んだテーマの祭壇画が、なんでか知らないが極端に写真の資料が少なくて、しかも置いてる教会が常に開いてるというわけではない(正直かなり珍しいのでは)な教会なので、自分でちょっと行って写真を撮りに行くこともできず。
けれど1回目の提出が迫っているので、超解像度の悪い写真(拡大するとほぼモザイク。人物と背景の区別すらつかない)若しくは、古い資料の白黒写真を駆使しながらゼミ論文に向けてのアイデアペーパーを書いている。
「なんか...天使飛んでるじゃん?雲かも知んないけど。この後光が...後光じゃないかも。聖霊かな...」みたいなことになっているが、どうにかやります。
そして、明日その教会のミサに行ってカメラ持って行くので頼み込んで祭壇画を撮らせてもらう。
テーマの街に住む醍醐味ではあるんだけれど、こんな苦労すると思わんじゃん?
申し訳ないが例を挙げてくれ。そしたら私も気をつけられるから。って言うたら、出てきた例が一個だけで。しかも、提案を否定したというより、お店が夏休みだった。その後も調べたら、ちょうど私たちが休暇でいない時期にそのお店が開いてる。っていう、いや私のせいじゃなく、とにかくタイミングが悪いからずらしたし、その時諦めただけよね。って感じやし。
そしたら、でもいっつも私が一人で決めなあかん!と言われても...私が仕事や大学でいないタイミングで該当のところにメール送ってるの貴方やし...あと、何度も言うてるけど、二人に関わる重要なことは二人で座ってパソコン開いてスケジュールを確認しながらやりたいし、メールには私も入れてくれ。って言ってるのを忘れてるから、一人でやらなあかんハメになってるだけなんやけど...いつも連絡してきていいし、電話でもメッセージでも。どんな突然の話でも答えるし聞くでって言うてるのに。
ちょっとした忘れっぽさや、ミスや誤解を直視できないので一旦他所(主に私)に責任転嫁すること、抑圧感の原因も私にあることにする。全部多分鬱のせいなんやろなぁ。って思うし、理解もしてるし、あぁ。いつものやわ。ってなって、落ち着いて対応したけどさ。
流石にしんどい。いや私でよかったね...私すごい忍耐強いのでは。
昨日彼女ちゃんに
「やぶ仕事中他所ごとばっかやってるやん。私の方は家でノンストップで働いて合間に家事もしてるのに。ずるい。」とか急に言われて。
......いや、あの普通に失礼では?私の働き方を勝手に妄想して、やってないと断言した感じで言われるとやな。流石に傷つくし、あと、全然違う。休憩時間や資料請求して待ってる間の時間を使ったり、通勤の合間にやってたり、少し仕事が早く片付いた時に別の個人的に必要な手続きとかを進めてるだけなんですけど。家であなたといる時にやらなくていいように。
後、あなたが寝落ちしてからキッチン片付けたりリビング片付けてるん私なんですけど。知らんやろけど。
ってなって。その後も一応誤解を謝ってもらいはしたけれど
「私はあなたを待ってばかり!!!ずっと家で!なんでいっつも待たなあかんの。私の提案もいっつも否定して!!!」と言われ。
いや、そんなこと頼んだ覚えないし。いつも、何回も好きなようにやっていいし、私のできる範囲で付き合うし、私の方が大学の授業で週の予定がかっちり決まってるけど、それに合わせて貴方が動かなければいけないなんてことはない。貴方の1日を決める権利は貴方にあって、それは私に合わせる必要はないし、いちいち待つ必要もない。貴方の提案をいっつも否定してに関してはマジで覚えない
上海着いた!!!!
ひぃ懐かし、ノスタルジー、そして色々変わりすぎてそれもびっくりよ…
Twitterには簡単に報告しましたが、彼女と婚約しました。
法的な結婚に向けての一歩としての婚約です。
正直、全部スムーズにハッピーにすすんだわけではありません。(主に私の方で)葛藤もありました。
この国と彼女の出身国では同性婚が認められています。当たり前の権利として。そんな風に生きている人と母国では同性婚が認められておらず、結婚しても母国では独身のまま、しかもエクストリーム家父長制文化育ち。という私では"結婚"や"婚約"という制度に対しての気持ちが大きく異なっています。
奪われている基本的な権利で、家父長制の妨害があり得る。そういうものです。
一度そのギャップについて話し合った時言われました。「私たちの関係を政治的にしないでほしい」と。私にとってはこの国で人種的性指向的マイノリティとして、そして母国では認められない結婚を視野にいれること。生存することすべて政治的であると信じています。
これは政治的な主張で、そして私たちは愛し合っていて、幸せで、一緒に支え合う未来を見ていること。そしていつか、私が怯えずに当たり前に、自分の幸せをなんの葛藤もなく気負いもなく受け止められるようになる未来を祈り続け、妨害に立ち向かい続ける。それを表明するポストです。
今日前学期の指導教官とゼミ課題に関しての面談をしてきたんだけれど、厳しいことと理不尽に(私の出身や言語的に不利な立場であることを理由に)厳しいことの区別が本当に鮮やかに別れる評価と総評だったので。
一度失いかけた学部専門への信頼が回復しました。
こんなにしっかりと学生をフェアに見て、実力と内容をきちんと吟味した上で納得できる理由で厳しく指導して評価してくれる教授もいるのだなぁと…
ネグレクトスレスレというか、面倒を起こさず、利益になる限り養育する。病気や手続などで親の時間及び労力を使った場合それに準じたお礼、もしくは労働で恩を返す。というスタンスの家庭で育ったため、今諸々の日本での手続きを実父とその配偶者さん通じてやってるんだけれど。
役所に行く、問い合わせをかける、煩雑な手続きが必要になることが確実なお願いをする。という系のやり取りをするたび、「ええでー。」「時間かかるけど、まぁやってみるわ!」「こないだの件心配やったんやけど、上手いこといった?」っていう感じで。やってくれるし、気にかけてくれるしで。どうしてそんなに親切?何故?私の知っている育ての親はそんなことしなかった。もしや!何か見返りを求められるのでは?金か?金ならないぞ!!貴方の誇れる子供にもなる予定はない!私のなりたい人になる!!みたいな謎の疑いを深めてたんだけれど。
徐々に、これが...家族...なの...か?もしかして、善意というか、こういう家族間の会話や頼り合いっていうのもありなのか???ってなってきて。
すごい...嬉しい...というか、ちょっとようやくずっと欲しかった何かをゲットできた気持ち。
↑20/🏳️🌈Lesbe/Kunstgeschichte/Druck/The Old Guard/二次創作を書く人/カトリック