カナダのマッチョ左派ポッドキャストのホストが自分が表立ってイスラエルによるガザ侵略と虐殺に反対する立場をとってないことでサブスクリプションが減ったり脅迫メールが来たりということに対してエピソードを出してたんだけど、肥大した被害者意識にしか思えん。もちろん北米におけるユダヤ人ヘイトの波が来てるのは確かだし個人が標的にされてはいけないのは前提としても、あまりに耐性がないことにびっくりする。スケープゴートにされてるといっているが、だからパレスチナ支持を名言しないってのも随分なentitlementだし傲慢やな。スタバのCEOの写真に水晶の夜が起こった日付に赤字でGENOSIDEってペイントがされたこととかを一線超えた(crossed the line)て言ってたけどそれが一線だったら病院に爆撃するのは何線かと思うし、自分はこういうレイシズムは0%しか許容しないとか、はあ、許容するしないの選択肢があっていいねー、と思うし、なんかあまりに脆すぎるのでは?スケールが全く違うことをよくそんな同等に語るなと思う。殺害予告が2件来たとか、もちろん殺害予告を誰も受け取るべきじゃないけど、正直殺害予告受け取るのはじめて?って思った。私がマッチョなのかなーとも思うけど、それだけではないと思う。white fragility。
もういっこ界隈の人のやばい寄稿、フェミニズムに寄り添って長いこと論考出してたはずなのに(昔フェミニスト自認の男性は信用ならないみたいなことも言ってた)一旦自分の男性性を規範にそった形で解放してみたらめっちゃ楽しいみたいな本人は「一周回って」と思ってるのかもしれないけど一周回って結局既存の凡庸なトキシックマスキュリニティーに落ち着いてる。。。権力の気持ちよさを気持ちいいと感じる自分を受け入れたいジャーニーを自省ができる新しい男性性っていう枠組みで話すのは、今までと本質的に同じ家父長制を維持するのに「自省できる男性性」という概念だけを資本化して利用しているのでは。わりと見慣れた構図にげんなりする。でも批判されたいんだよね、こういう人は。それでまたかさばる自省を垂れ流すか、俺のことわかってない読者の責任、やれやれ。みたいになるから出口がない。そこまでがセットだから。
有害な男性性の一パターンとして、「自分が男と認めた男以外の人間になにを言われても自分の都合いいように解釈するから響かない」てのがあるけど、まさにそういう場所にいるんだろうなーと思う。自分と自分が男と認めた男以外のすべての存在を観客にする、観客と資本を言い換えれば資本主義と仕組みは一緒だねー。
トロント在住の中年ノンバイナリートランスマスクです。東洋医学と鍼灸学生。1日1トゥートの日記的に使ってます。アイコンは悪いコロ助です。non-binary transmasculine. they/them