寄稿者も恣意的というか、自分の思う「男」以外はノンバイナリートランスフェミニン、シス女性表象の人のみでノンバイナリートランスマスキュリン、端的にいえばメディカルトランジション(ホルモン治療)してない人がいっさいいないとこも、まじで男性性表象の拡大とかそういうことは一切考えてなくてむしろこの既存の男の城に入った人たちのなかだけでわちゃわちゃしたいのがよくわかる。
もういっこ界隈の人のやばい寄稿、フェミニズムに寄り添って長いこと論考出してたはずなのに(昔フェミニスト自認の男性は信用ならないみたいなことも言ってた)一旦自分の男性性を規範にそった形で解放してみたらめっちゃ楽しいみたいな本人は「一周回って」と思ってるのかもしれないけど一周回って結局既存の凡庸なトキシックマスキュリニティーに落ち着いてる。。。権力の気持ちよさを気持ちいいと感じる自分を受け入れたいジャーニーを自省ができる新しい男性性っていう枠組みで話すのは、今までと本質的に同じ家父長制を維持するのに「自省できる男性性」という概念だけを資本化して利用しているのでは。わりと見慣れた構図にげんなりする。でも批判されたいんだよね、こういう人は。それでまたかさばる自省を垂れ流すか、俺のことわかってない読者の責任、やれやれ。みたいになるから出口がない。そこまでがセットだから。
界隈の人のやばい寄稿のひとつ、自分フェミニスト自認なんですけ女性嫌悪的な性的ファンタジーがあって、それが性別以降したことで実行できてすごく気持ちよかったみたいな文章に散々三文ポルノ的に描写された妻から、うちの人がすいません、あの人もつらいんですみたいな追記が付くって想像の昭和家父長制かな?とすら思うし、これシスヘテ男性の寄稿だったらさすがに載せないだろ。。。フェミニスト出版社、ふしあなか?