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高護・小川真一『新しい音楽 漣健児とカヴァー・ポップス』(シンコーミュージック、2022)読んでいるが、ポップ・ミュージックを分析する、とりわけリズムやノリを論じるってめちゃくちゃ難しいなとなっている。たとえば冒頭で漣健児の功績を「七五調からの脱却」にもとめてるんだけど、収録されてるインタビューで山下達郎・大瀧詠一はむしろ漣に都々逸とか日本のリズム感を見出してるんだよね。これは同意する。それに、同じく収録されてるインタビューで弘田三枝子は日本語をポップスに乗せるために積極的に譜割りを自ら考えて試行錯誤したって証言している。これをどう評価するか。

むしろ岩谷時子を評価したほうがいいのじゃないかというふうに思ってるんだけど、このへんは難しい。。。

山下達郎は岩谷時子かなり評価してるんだよな。

あと譜面見てて思うのは、漣健児ってよくアウフタクトを切っちゃうんだよね。残ってても、文の意味の切れ目が原詞と訳詞で違うんだよ。原詞だとアウフタクトで次の小節のつながる一音が、訳詞だと(意味上で)その小節の終わりの一音になってたりする。音源を聴き込んで比較しないとなんともいえないけど、「英語の曲が日本語にすんなりのっている」ように聴こえるのって、こういうアウフタクトの扱いにあるのではなかろうか。小泉文夫は「日本の音楽にアウフタクトはない」と言った(さらには日本に四拍子はないとも言った)わけだが、だとすると漣健児のこのアウフタクトの扱いはきわめて「日本敵」といえなくもない。

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