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みよし さんがブースト

つくたべ、そりゃ瑕疵のない作品なんてないけど、瑕疵まみれの作品や作家倫理がある中で集中的に攻撃される謂れはないだろ、のやつ

みよし さんがブースト

あんまりひとつの作品や一人のクリエイターにばかりすべてを背負わせるのが嫌………!!!!なのでこう……全体的にアップデートされていってほしい……すべてが……

みよし さんがブースト

絶対に批判するなよ!!ていうことじゃなくて、「この作品にだけ意地悪になってる人いるよな~」という感触はかなりある

みよし さんがブースト

つくたべに存在する「ん?」てなるポイントって別に他の作品にもある程度の「ん?」なのに異常に正しさを求められるのって粗探しだよなぁと思う

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完璧に正しくないと「差別に反対」と表明することが許されねえ社会厳しすぎるだろ!?!? ていうか「差別に反対」という表明に「瑕疵があったら叩きまくろう」と無意識に反感抱いちゃう人の多い社会ヤバいやろ。ヤバいのだよな

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わーーー「フツーのニホンジン」だーーー。
特攻隊の人たちの死が「犬死」なのは、その人たちの生に価値が無かったからでも、尊厳が無かったからでもない。その人たちを「犬死」にさせた国家の責任を問うために「犬死」というのであって、そしてそのような国家の責任を覆い隠そうとするときに言われるのこそ、「英霊」の論理なんだよ。国家こそが、彼らを「殺した、死に追い込んだ」ことから目を背けさせるための言葉が「英霊」であり、殊更に「特攻で亡くなった人たちの尊厳」を言い立てることだよ。
とかいうことをえっくそで書こうと思ったけど、ふつーにわたしが嫌な思いするだけで終わるからヤメタ

みよし さんがブースト

性的少数者だけでなく多くの何かしらの当事者コミュニティでは必ずと言っていいほどに起きる出来事なのだけど「エリート主義」の問題が生じる。エリート主義というのは「選ばれし条件を満たした者だけが○○を名乗れる」という姿勢のこと。

例えば…
「異性と少しでも付き合った奴は同性愛者じゃない」
「性行為したことがある人はアセクシュアルじゃない」
「性別適合手術をしようともしない人はトランスジェンダーじゃない」
「インターセックスは男と女だけで、グラデーションなんかじゃない」

こうした考え方は排外主義的で優生思想的なので当然やっぱり人権モデルとしては支持されない。エリート主義者は「この定義だけが当事者の正解なのであって、それ以外の理解は偏見だ」と言い切ってしまうことで、コミュニティに踏み絵を要求し、それが人権侵害になっていることに気づかない。当事者コミュニティにとって大切なのは「包括性」と「人権」だというのはつねづね肝に銘じておきたいところです。

みよし さんがブースト

自分の思想で他人のSNS運用の仕方をコントロールしたいという欲求(を持っていること自体は人の営みの普通の愚かさなのでまあいいけど)、自分の思想で他人のSNS運用の仕方をコントロールせんと実際に行動しててそこに疑問もなく正当性しか感じられないとしたらさすがに自他境界線のやわやわさがひとつ飛び抜けている とはいえこのポスト自体もそういう人の行動にケチつけて思い通りにしたい欲求が表れているから人には人の愚かさ(人には人の乳酸菌)であるなあと思う

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フィクションで加害行為を描くなとはまったく思わないけど、描くなら「加害は悪である」ということもちゃんとやってほしい

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みよし さんがブースト

葬送のフリーレンの魔族に対しての捉え方、今どきここまで多種族に対して排他的な設定をする作品は珍しいな…と思いつつ(最近は、他者には他者なりの事情があるという描き方が多いため)
観ながらちょっと嫌な予感がしたのですが、やはり一部の人が気に入らない外国人に対して「フリーレンの魔族じゃん」と言ってるのを複数みかけて、この作品はとても丁寧で素敵だと思うんだけれど、外国人差別に容易に繋がるミームとして機能しないか心配。

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エロゲとかエロゲが元になってる作品、エロゲの枠でいるうちは「そういうもの」だと思ってるからすごく楽しく遊ぶしまあ普通に好きだし飲み込めるんだけど、エロゲじゃない媒体で同じことされるとウワッ………てなって引く

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やばいのは王様は裸だと指摘する人がようやく現れた時にも周囲がそれに続かず、王様が立派な服を着てる演技を続けようとする社会だってことかな

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ブロックして見えなくすればいいだけ自分は恵まれてる、少なくとも過去どんだけクソみたいなセクハラ受けてきたり今も女を見下げるクズ発言に晒されやすく男から直接的な性被害を受けてきてようがなんだろうが「アセクでもないシスヘテロ女性」であるという点ではマジョリティであることは否定できない事実、と何度も自問自答しながら言っていくしかない

日本の差別構造の特徴の一つとして真綿で包むようなモワモワした差別があり、それが女性差別でも顕著なせいで「これは被害だ、自分は被害者だ」って理解することがフェミニズムの第一歩なんだけど、それがトランス差別に乗るにあたって相性が良すぎる。自省できないままに乗っかっちゃうから不安と恐怖でワーッとなってるんだろうというのまではよくわかる。

ただ差別と戦うのって常に自問することでもあるから、「被害者」の箱に自分を入れてあいつらが加害するんだだから隔離しろってやるのは違うし、これまで散々ミソジニストからやられてきたことをそのままトレースしてるだけで最低にダサいから今すぐやめてほしい

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みよし さんがブースト

今のトランスヘイト言説、ほぼ10年前の「ゲイに告白されて断ったら差別って言われる!!」という与太とほぼ代わりないぐらいのトンデモなんだけど、乗ってる人はマジで自説を補強する海外のデマニュース(場合によっては翻訳を意図的に間違えてて元ニュースではそんなことなかったりそもそもフェイクネタだったりする)を英語読まずにバカスカ拡散するし、何がヤバいかというと英語読む層がその手のフェイクって1ページ目見たらわかるようなものすら意図的に流してくるから、前者のアホを止めるために後者の後出しジャンケンに永久に乗り続けなきゃいけないっていう…

わたしは「うわークズだな」でブロックしまくったりせいぜい「理屈っぽくて意識高すぎる、思想統制ですか?」「感情的な人はこれだからー」とか真逆の嫌味を同じ方向からチクチク言われてればいいけど、マジでこれが生き死にに関わる人はブロックしても現実は消えないわけよ…

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第五回 少女革命とテロリズム|私たちの生存戦略|水上 文|webちくま(1/4)
webchikuma.jp/articles/-/2818
自分の中にいる最悪野郎キャラクター萌え人格が鳳暁生にエッチな兄みを覚えてしまった回

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補論 最後の花嫁――幾原邦彦論・試論【前編】|私たちの生存戦略|水上 文|webちくま(1/4)
webchikuma.jp/articles/-/2837
水上さんの連載の五回目とこの回の最初の辺りを読むと、少女革命ウテナという作品のやっていることがかなり理解しやすくなるんじゃないかな〜と思う(ネタバレもあります)

長いTVシリーズのトンチキなアニメ部分に翻弄されてどう見ればいいのか指針が定まらなかったりするので……(?)
でもTVシリーズの日常回みたいなやつはあとから思い返すとすごく愛しく思えちゃうし、何より黒薔薇編が好きすぎるからTVシリーズ→劇場版がオススメかな

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ますく堂なまけもの叢書⑬ 朝まで「さらざんまい」! | ますく堂なまけもの叢書 

ichizan1.booth.pm/items/475478

まだ座談会のところを読んだだけなんだけど、むちゃくちゃ面白くて良かった
わかる〜〜〜〜!!!!!てなる部分も、なるほど……??てなる部分も、そうかなあ…てなる部分もあって超〜面白い

さらざんまいは「BL」の話をしている→人工的なBL感があるとかめちゃくちゃア〜〜〜!てなるんだよな

BLも百合ももはや扱いの難しい単語であることはわかるんだけど、男性3人でやってる百合というのが理由含めてア〜〜!ね〜〜〜…!!てかんじで「さらざんまい」してるがよくわかる(気のせいかも)

あと燕太のあそこらへんの行動に対して参加者の人がみんなめちゃくちゃ厳しいので安心して読める
ていうか私も少年院のやつ成長しててスゴイッて思って感動した視聴者だからワハハ……てなっちゃった

幾原作品の、性的な話題を"おかしみ"でもって表現する部分、扱う題材的にもかなり危ういというのは私も思うので、今後はもう少しなんとかしていってほしいよね…

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よく見るオタクスラング「公式に燃やされる」「村が焼かれる(喜)」が体に合わなくなってきた。
暴力的(暴力的なまでに衝撃が大きいの意)な言葉だもんなぁ。原爆のミームも多分こういう感覚で深く考えずに使われてるんだろう。でも本物の原爆の痛みを知る人にはとても辛い。

衝撃を伝えてる言葉はもっとあるだろうから別の言葉で言い換えていきたいな。出来ればみんなで。
「飯テロ」も使う人へってきた(私の周り観測)し、そうなりたい

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人権は「賛否」を問うものじゃない。
人権は「価値観」ではない。
人権は「利益」ではない。
人権は「事実」であり、「現実」であり、「命と健康」の問題である。
このことだけは常に一貫していきたい。

みよし さんがブースト

障害者差別解消法の発効に伴うバックラッシュもかなりひどくて、制度や世論調査での理解が高まるほどバックラッシュは酷くなるとさえ思えてしまう。特に車椅子ユーザーやベビーカーユーザーへの嫌悪はもう広まりきっている。一方で制度があると、本当に生活における多くのことが変わるのは障害者として実感がある。
トランスに関する法制度の変化も、同様のことをもたらすと思うけど、どちらも、法制度での変化や権利の尊重があっても、バックラッシュに耐えて「生活」における権利を獲得するまでに至る道筋が険しすぎる。
もちろん、トランスに関する事柄はまだ全然これからで、障害者差別解消法のようなものには程遠いのだけど、このような観点からクィアとクリップセオリーの繋がりは本当に今求められてるというか、私が必要としているものだと思う。

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