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こんなスタァライトは嫌だ。「アタシ再生産」のコピーが少子化対策の政府広報に使われる

ビール飲みながら鍋つくってる

太っている自分が嫌いなんじゃなくて、太っていることで「怠惰」「自己管理ができていない」とみなされやすくなることが嫌だという気持ち

ラジオ体操ばりに気楽なトレーニングやストレッチで基礎代謝爆上げしたい

あんまり痩せたいという気持ちはなくて、なぜなら生活習慣を頑張って変えるのが嫌すぎるからなんだけど、中年のダイエットってマジどうしたら成功するん?頑張らずに基礎代謝を効率よく上げる方法ってないのか???

お風呂にはいりました
久しぶりに体重計ったら2kg増えてたし順調に腹が育っているしつらい

極まった反出生(反-雄?)のひとたちも「ちんこ」か「ちんこじゃない」か、で世の中やひとびとをまなざしているのだろうなと感じる。

藍沢 さんがブースト

こういうのってトランスの暮らし的には本当に当たり前の現実だと思うのですが、少なからぬひとにとってトランスは「架空の存在」らしく、こういう現実のすでにもうなされている暮らしのありようがまず伝わらないのですよね…。

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藍沢 さんがブースト

例えば、女性がお店のひとにトイレの場所を聞いたら女子トイレに案内されたり、男子トイレの前に並んでいるつもりでいたら後ろに女性の列ができていたりしたら、その調和を乱してまで「私は男子トイレを使います!」とわざわざ言ったりはあまりしないと思うんですよね。SRSを受けているかどうかと関係なく。むしろトラブルや混乱のもとになりますから。

こういうのって、明確なルールがあるというより、その場その場で暗黙のうちにちょうどいいところに落ち着こうとしているだけなのではないかと思います。

もちろん職場とか学校とかだと暗黙のやり取りだけでなく、明示的に約束事を決めたりとかいろいろあると思いますが、ともかく、あらゆる場面で共通のルールによるのではなく、個別の場面ごとに「それなりにうまくやっている」ですよね、実態は。あるいは現実的に個々のトランスの人々が目指すところは。

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藍沢 さんがブースト

そもそもトランスの話をトイレやお風呂、プールの話に極限するのが不当であるというのを断ったうえで、そうした施設の使用に関して「一律の基準がある」という発想が私にはそもそも的外れに感じられます。

なかにはSRSを受けているけれど本人が不安だったりトラブルの可能性を感じたりして誰でもトイレしか使わないひともいるだろうし、なかにはSRSは受けていないけれど周りからむしろ外見に沿った利用を推奨されるひともいて、何が起きているかというと「この基準を満たしていたらこう、そうでないときはこう」みたいな基準に皆が従っているなどということではなく、個別のその場その場でそのトランス個人の事情とその施設の管理者とその他の利用者とが相互の明示的/暗黙的交渉のなかで、それぞれが相対的に納得できるところへ落とし所を探っていると思うのですよね。あくまで個々の状況における個別的な調整がなされているだけというか。

普遍的な一律のルールを仮定したうえでなされる主張も議論も、私には非現実的に見えます。

ニンゲンは性器のありかたに規定されているものではないし、性のありかたやジェンダーアイデンティティ、セクシャリティといったものは多様であり、このような身体のありかたにひとのありかたを還元する二元論は馬鹿げているとしか言いようがありません。世界はもうちょっと複雑にできているはずです。
改めて、私はフェミニストとして しています。

トランス排除派からみた世界について。 トランスジェンダーやクエスチョニングといった当事者の方は閲覧注意かもしれません。 

(続き)
といった現状認識が(だいぶ誇張したものになってしまったが)あるのだと思う。
"一見すると"フェミニズム/フェミニストなのであるが、トランス排除派の認識はおそらく性別二元論と本質主義に覆われた、性差別的な社会のネガにすぎないのではないか。

男性が男性というだけで優遇され、支配的立場に立ち、何かあってもお目溢しされやすく、男性でないものたちが不利益を被り、被害を受け、それが隠される社会。男性は男性らしく、そうでなければそうでないらしく、弁えさせられる社会。
まさしくジェンダーの秩序なのだろうが、そうした社会のありかたの理由を「ちんこ」に還元して見ているのがトランス排除に向かった人々で、単にそれを反転させるための運動を"フェミニズム"だと思っているんじゃないか。と、私はみている。

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トランス排除派からみた世界について。 トランスジェンダーやクエスチョニングといった当事者の方は閲覧注意かもしれません。 

(続き)
しかし昨今の潮流はどうだ。連帯していたはずの「ちんこじゃない」人々が「ちんこ」を、収容されているのは「ちんこじゃない」ことが約束されたセーフティスペースに招き入れてよいと言う。一体どういうことなのか。あまつさえ「ちんこ」を「ちんこじゃない」我々の姉妹と思えと言う。おかしい、おかしすぎる。
世の中は、悪い「ちんこ」と、その悪さによって被害と不利益を被り続ける「ちんこじゃない」我々とで成り立っている。「ちんこじゃない」人々の「ちんこじゃない」人々による「ちんこじゃない」人々のための世になるのを目指してきたのではないの?「ちんこじゃない」のに「ちんこ」を積極的に受け入れようとするなんて、「ちんこじゃない」人々のための運動とはいったい何だったのか!にせものめ!虹色運動の手先!
今こそ「ちんこ」には弁えさせなければならない。「ちんこ」は「ちんこ」だから悪く、「ちんこじゃない」我々を害するのだ。「ちんこ」にはそのことを理解させ、「ちんこじゃない」人々、我々に席を渡し、道を譲り、特権を手放し、加害しないようにすべきなのだ。

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トランス排除派からみた世界について。 トランスジェンダーやクエスチョニングといった当事者の方は閲覧注意かもしれません。 

M.K氏、典型的なトランス排除派の「意見」を公表しているね。

以下、私なりのトランス排除派の世界の見方の整理。
トランスジェンダー当事者やクエスチョニングといった方々には閲覧注意かもしれません。

トランス排除派にとっては、公衆トイレや公衆浴場は「ちんこ」か「ちんこじゃない」かで分かれているべきであり「ちんこじゃない」とされた場に「ちんこ」が"侵入"するのは、それだけで犯罪なのである。
世の中は「ちんこ」が支配的立場を得ており、「ちんこじゃない」人々は不利益と被りときには被害を受けているので「ちんこじゃない」身にはセーフティスペースや「ちんこじゃない」立場からの運動が必要だと考えている。であるから、彼女らは"フェミニスト"に見えるしときにはそう名乗る。
「ちんこじゃない」人々は「ちんこじゃない」人々を心配し、つながろうとし、声を上げようとする。「ちんこ」が優位で、支配的で、お目溢しを受けやすい世界で「ちんこじゃない」ことはあまりにも不遇で、不愉快で、不幸なことだから。

シークフェルトも見ておいてよかったなあと思えるクライマックスだった

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