トランス排除派からみた世界について。 トランスジェンダーやクエスチョニングといった当事者の方は閲覧注意かもしれません。
M.K氏、典型的なトランス排除派の「意見」を公表しているね。
以下、私なりのトランス排除派の世界の見方の整理。
トランスジェンダー当事者やクエスチョニングといった方々には閲覧注意かもしれません。
トランス排除派にとっては、公衆トイレや公衆浴場は「ちんこ」か「ちんこじゃない」かで分かれているべきであり「ちんこじゃない」とされた場に「ちんこ」が"侵入"するのは、それだけで犯罪なのである。
世の中は「ちんこ」が支配的立場を得ており、「ちんこじゃない」人々は不利益と被りときには被害を受けているので「ちんこじゃない」身にはセーフティスペースや「ちんこじゃない」立場からの運動が必要だと考えている。であるから、彼女らは"フェミニスト"に見えるしときにはそう名乗る。
「ちんこじゃない」人々は「ちんこじゃない」人々を心配し、つながろうとし、声を上げようとする。「ちんこ」が優位で、支配的で、お目溢しを受けやすい世界で「ちんこじゃない」ことはあまりにも不遇で、不愉快で、不幸なことだから。
トランス排除派からみた世界について。 トランスジェンダーやクエスチョニングといった当事者の方は閲覧注意かもしれません。
(続き)
といった現状認識が(だいぶ誇張したものになってしまったが)あるのだと思う。
"一見すると"フェミニズム/フェミニストなのであるが、トランス排除派の認識はおそらく性別二元論と本質主義に覆われた、性差別的な社会のネガにすぎないのではないか。
男性が男性というだけで優遇され、支配的立場に立ち、何かあってもお目溢しされやすく、男性でないものたちが不利益を被り、被害を受け、それが隠される社会。男性は男性らしく、そうでなければそうでないらしく、弁えさせられる社会。
まさしくジェンダーの秩序なのだろうが、そうした社会のありかたの理由を「ちんこ」に還元して見ているのがトランス排除に向かった人々で、単にそれを反転させるための運動を"フェミニズム"だと思っているんじゃないか。と、私はみている。