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あっち側の人間とこっち側の人間に分けてしまって、諍いの大きな火種になり、「国」という形で争いを始めるきっかけになってきたものが宗教と政治なのは確かで。

文字だけが往来する空間で、距離感や温度を掴むのは難しく、同じ文言を唱えるものがエコーの洞窟に閉じ込められ、洞窟の間を行き来する罵詈雑言。

人が対話をしようとするとき、温度や湿度は必要で、文字のみでそれを伝えようにも、文字数は制限され。

それを考えると、新聞やなんかも、文字数の制限のうちにものを伝えなければならず。

そも、書き言葉は制限されてきて、伝わる人にしか伝わらないものとして整備されてきたのかもしれない。

それの最も極まった形が今なのかもしれない。

混乱や混沌、とりとめのなさにこそ見えてくるもの。文字数制限が抜き取ってきたもの。



白いお皿に粒あんバタトースト。隣にカフェオレ。一緒にお皿にのっている。カップの内側はコバルトブルー。欠けていく月の形で影が落ちてる。
上記の写真下に貼ってます。

複数のSNSにアカウントを持つこと。
複数の場所に出入りすること。

越境とか架橋とか横断とか、そういうものを、感じ考えるには重要だと思う。

そのとき、そこのマナーはなるべくなら守ること。マナーを守ることは自分の安全と、他の安全を担保する。

あげるべき声を上げることと、声を上げない人を排除することがイコールにならないように。

排除こそが暴力だから。

安全な場所の確保が、別の場所で声を上げる力になることもあるのだから。

混沌をいかに差し出し、混乱をいかに受け止められるか。にかかってくるのだろうと思う。

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「誰一人取り残さない」みたいな物言いが、選挙期間に繰り返し言われ、もてはやされた現象を、ぼんやりと考えている。

いつも「取り残されている」と感じていた多くの人々は、マイノリティ属性を生きる人々ではなくて、あげる声を持たずにいた人々なのではないか。

文字を積極的に読む習慣がない。またはその時間を取れない。この世界で何が起こっているか、知る手段がテレビでしかないような。ただ、普通に暮らすことが幸福であって、そこから外れることはなんだかよくないことだと、いつの間にか信じ込まされている人々。

誰かの描いた物語通りの世界を信じ込まされている人々が、変化を恐れ「取り残されるのではないか」と怯えていた。

その人々の不安を、言葉はどう取り除くのか。



白くて厚みのあるお皿に、翡翠色の汲み出し茶碗。中には濃いお抹茶六分ほど。右斜め横には茶碗の幅ほどの長さの薄い長方形の焼菓子。薄切りアーモンドを敷き並べてキャラメル掛けしてあって。艶やかな赤茶色。
上記の写真下に貼ってます。

まとまった待ち時間があったので、図書館で手に取った木皿泉・著『カゲロボ』を読む。動物への暴力が出てきそうなところで一瞬たじろぐが、それはびっくりする方法で回避される。

ここのところ、戦時における暴力のトラウマが現在の社会状況にどのような影響を与えているか。ということを少しずつ勉強している。

この短編に出てくる中高生は戦時性の暴力で起因したトラウマを持つものの、4世とか5世とか。もうこの暴力が何に起因しているのか、誰から受け継いだのか。薄まった混乱をなぜこのように抑圧的に振る舞うのか訳のわからないままの社会を生きている。

それは薄まった。薄まった分、社会の隅々まで浸透していて、当たり前のようにその中で生きる。空気のように漂うそれを吸ったり吐いたりしないといこの社会では生きていけない。

この短編集はそれをどう除けていくのか。丁寧につぶさに。摘み取ることなく、暴力だけを取り除くことが出来るのか。そういう試しみを「ロボット」を使って行う。ロボットは遂行する。ロボットはその点で変わらない。それゆえにヒトは遂行しない。ヒトは変化して、暴力を遂行しないことを選ぶ。 

抑圧が暴力を最大限に引き出す装置として使用される。暴力を最大限に有効利用したい、その場面として一番にあげられるのは戦争。

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自由に振る舞うことが許される場所で、加害や暴力が起きるわけではなくて、それらが起きる前にはまず自由に振る舞わせない抑圧があり、そして力をある一定の方向へ誘導する、扇動がある。

件の行為を行うものが、役割として嬉々として当たっていたことは想像に難くない。抑圧からの解放。間違った方向での。

雑食なので、雑多なものを取り込まないと、機関がうまく循環しない。

鳥がいなくなっても、そこに居続けてしまうのは、そういう理由。

排除していかなければならないのは加害が容易に起きる環境で、加害に結びつく要因を有しているものではない。
加害に結びつく要因を有するものを排除しようとする動きが、そのものを、合法的な加害に走らせ、組織化を企てさせる大きな原因になるものだから。

書き言葉を持つものが、書き言葉を広め、身体と繋がった、言葉以前の行動を奪ってしまった側面。

机の前で、行動を奪われ、言葉で表明することを先に覚えてしまった子らが、正しいとされる言葉を使い、他者を愚弄する。

謝罪は罪の許しを乞うことだが、彼らは謝ることは罪だと捉えているのかもしれない。字義通り。

正しい正解通りの言葉。丁寧に行動したことのないものが使う、その問いについて正解とされる「丁寧」という言葉。

行動を伴わない。アリバイとしての正解言葉。机の前で覚えた。

不特定多数に提示するということがどういうことか、不特定多数に提示したいという気持ちがどういうことか。
考えるともなしに考えていて。

それよりもっと考えているのは、息をするように文字を読む人と、意識をそちらに向けても文字を読むことに忌避感を覚える人の、深い溝。

花火は、爆撃を平和に上書きしないし、原発は、原子力爆弾を平和に上書きしない。

何からそれが始められたかは、とても重要で、軍需のために生産
、開発されたものが平和を語っても、それはまた軍需に流れる。

それでも、花火に希望を見る。その美しさに込められた祈りの中に希望を見る。

誰かが爆撃を美しく感じる。罪悪感とともに。
美しく感じることを私たちは選べない。

美しいものを、美しいままに、ただ美しいと感じて欲しい。ただ美しくだけあるから。

花火の中の祈りの一つ。


青灰色のお皿にごく薄い青の湯呑み茶碗。藍色で何か絵付けしてあるが、逆光ではっきりと見えない。中身はとろんとした色の緑茶。右横に三分の一に切ったお饅頭。皮は白くてふわっとしている。中身は餡子。
お皿には不思議なお花。机の後ろに差すオレンジはストーブの灯。

上記の写真下に貼ってます。

いろんな人が、いろんな視座で語ること。

その視座のつながりが編み出し創り出す世界。



厚くて丸い白のお皿の左上に透けた紅色の染め抜きで花柄が帯のようにプリントしてあるガラスの汲み出し茶碗に入った麦茶。右斜め下に青汁おから蒸しパンが一口大のブロックに切って三つ。
上記の写真下に貼ってます。

お名前が元に戻せてよかった。。(一度抜けたからもう無理かと思ってた。。)

ボーダーレスなことが平等ではないということ。それを教わる機会が多分ない。

教えられる順序がまるきり逆であること。

世界は平等で、だからみんな一緒だ。そんな風に、捻じ曲げてことを捉えるように、何度も矯正される。

目の前で起こっていることが、とても平等に見えなくても、「それは一つの事例であって、基本世界は平等にできているし、平等でなければおかしい。」と歪みの中へ押し戻される。

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