あっち側の人間とこっち側の人間に分けてしまって、諍いの大きな火種になり、「国」という形で争いを始めるきっかけになってきたものが宗教と政治なのは確かで。
文字だけが往来する空間で、距離感や温度を掴むのは難しく、同じ文言を唱えるものがエコーの洞窟に閉じ込められ、洞窟の間を行き来する罵詈雑言。
人が対話をしようとするとき、温度や湿度は必要で、文字のみでそれを伝えようにも、文字数は制限され。
それを考えると、新聞やなんかも、文字数の制限のうちにものを伝えなければならず。
そも、書き言葉は制限されてきて、伝わる人にしか伝わらないものとして整備されてきたのかもしれない。
それの最も極まった形が今なのかもしれない。
混乱や混沌、とりとめのなさにこそ見えてくるもの。文字数制限が抜き取ってきたもの。
「誰一人取り残さない」みたいな物言いが、選挙期間に繰り返し言われ、もてはやされた現象を、ぼんやりと考えている。
いつも「取り残されている」と感じていた多くの人々は、マイノリティ属性を生きる人々ではなくて、あげる声を持たずにいた人々なのではないか。
文字を積極的に読む習慣がない。またはその時間を取れない。この世界で何が起こっているか、知る手段がテレビでしかないような。ただ、普通に暮らすことが幸福であって、そこから外れることはなんだかよくないことだと、いつの間にか信じ込まされている人々。
誰かの描いた物語通りの世界を信じ込まされている人々が、変化を恐れ「取り残されるのではないか」と怯えていた。
その人々の不安を、言葉はどう取り除くのか。
まとまった待ち時間があったので、図書館で手に取った木皿泉・著『カゲロボ』を読む。動物への暴力が出てきそうなところで一瞬たじろぐが、それはびっくりする方法で回避される。
ここのところ、戦時における暴力のトラウマが現在の社会状況にどのような影響を与えているか。ということを少しずつ勉強している。
この短編に出てくる中高生は戦時性の暴力で起因したトラウマを持つものの、4世とか5世とか。もうこの暴力が何に起因しているのか、誰から受け継いだのか。薄まった混乱をなぜこのように抑圧的に振る舞うのか訳のわからないままの社会を生きている。
それは薄まった。薄まった分、社会の隅々まで浸透していて、当たり前のようにその中で生きる。空気のように漂うそれを吸ったり吐いたりしないといこの社会では生きていけない。
この短編集はそれをどう除けていくのか。丁寧につぶさに。摘み取ることなく、暴力だけを取り除くことが出来るのか。そういう試しみを「ロボット」を使って行う。ロボットは遂行する。ロボットはその点で変わらない。それゆえにヒトは遂行しない。ヒトは変化して、暴力を遂行しないことを選ぶ。 #マストドン非暴力部 #マストドン読書部
自由に振る舞うことが許される場所で、加害や暴力が起きるわけではなくて、それらが起きる前にはまず自由に振る舞わせない抑圧があり、そして力をある一定の方向へ誘導する、扇動がある。
件の行為を行うものが、役割として嬉々として当たっていたことは想像に難くない。抑圧からの解放。間違った方向での。
青灰色のお皿にごく薄い青の湯呑み茶碗。藍色で何か絵付けしてあるが、逆光ではっきりと見えない。中身はとろんとした色の緑茶。右横に三分の一に切ったお饅頭。皮は白くてふわっとしている。中身は餡子。
お皿には不思議なお花。机の後ろに差すオレンジはストーブの灯。
上記の写真下に貼ってます。
#入管法改悪反対アクション
#お茶アクション
厚くて丸い白のお皿の左上に透けた紅色の染め抜きで花柄が帯のようにプリントしてあるガラスの汲み出し茶碗に入った麦茶。右斜め下に青汁おから蒸しパンが一口大のブロックに切って三つ。
上記の写真下に貼ってます。
うたったり、かいたりします。