このこととどんなふうに関わるのか分からないのだけれど、四月一日は百目鬼に誕生日プレゼントを渡した際に彼とこんな会話も交わしている。
(四月一日)「‥‥射ろよ 危なくなったら迷わず射ろ それが何であっても」
(百目鬼)「おまえでもか」
(四月一日)「おれなら ‥‥尚更だ」
(中略)
(百目鬼)「また ‥‥選ぶんだな おれは」
(17巻P.171〜P.173)
これが事実四月一日自身を射ることになる伏線なのか、例えば「戻」4巻のラストで名前が出て来た「次元の魔女」を射ることへの伏線なのか、その辺りは分からない。のだけれど、とにかく物語は侑子が帰ってくるか来ないかというより、帰ってこないのは動かない前提であり、成就しない願いを抱え続ける四月一日がこのまま生き続けるのか、それともそれを百目鬼が終わらせるのか、という方に軸足を移しているような気がする。
「戻」3巻P.15〜P.18に次のような会話がある。
(侑子)「貴方も 貴方が思う時にそれを使えばいいのよ」
(百目鬼)「それが、あいつの望む所ではなくても …ですか」
(侑子)「ええ それでいいとあたしが貴方に託したのですもの どんな出逢いも出来事も すべてはヒトの願い故」
(百目鬼)「その願いが同じでなかったら 互いの願いが真逆だったら」
(侑子)「強いほうの願いが叶えられる それがヒトであるならば」
この会話は「戻」序盤の侑子のいる夢の世界から、侑子のいない現実の世界へ「戻る」か否かに関する会話のようでもあり、同時に現実の世界での百目鬼の役割を暗示する会話のようでもある。
で、この「それがヒトであるならば」という言葉に注目したい。4巻P.98で百目鬼は四月一日について「迷えばいい 迷うのは …おまえが「ひと」だからだ」と独語する。あるいは「籠」17巻で女郎蜘蛛が四月一日に対して次のように言う。
(女郎蜘蛛)「この傷も今はまだこのままだけれど いつかは八百比丘尼(あの子)のように 怪我もすぐ治ってしまうかもしれないわね 貴方の力がもっと強くなれば それも、もういらないんでしょう そんなものがなくても貴方には『視える』から そうなれば貴方は人間なのかしら それとも私たちと同じ存在(モノ)?」