星の存続のために命を捨てた者が古代人の中には多くいる。それと命の価値を釣り合わせるなら、やはり現生人もまた星のために命を進んで捨てなくてはならない(それもできないのにどうして自分達が古代人と「同じ」だなんて言えるのか)、というのがエメトセルクの主張な訳だけれど、それにはちゃんと物語の中で答えが出ていて、つまりはグ・ラハやアルバートは、ヒカセンの未来のために命や魂を自ら手放そうとした、あるいは手放した人々なので、彼らはエメトセルクの思考の枠組みから見ても「古代人並み」ということになる。
その上で思うのは、アリゼーがグ・ラハにデコピンした時の言葉。そもそも、そんな風に命を捨てないで欲しいという感情がヒカセンや暁の人達にはあるし、エメトセルクにだってきっとその感情はあった。
命や魂や人格の価値について云々するなら、そもそも命を秤にかけるようなこと、つまり命を何かのために投げ捨てようとするのを思い留まって欲しい、だって貴方が持っているそれは、相対的ではなく(つまり本当は天秤にかけることのできるようなものではなく)絶対的な価値があるものなのだから、というのが、いつも置いて行かれてしまうヒカセンの心の中なのではないか、アリゼーとアルフィノはそのことを理解してくれているのではないか、というようなことを感じました。
エメトセルクが最後に、「ならば覚えていろ 私たちは……確かに生きていたんだ」とヒカセンに言うのも、実はアルバートの人生には意味があった、価値があった、というのと同じことを指しているように思う。「私たちは確かに生きていたんだ、生きて喜怒哀楽を享受し、選択を繰り返し、他者と関わり合って生きていた、その営みがあり、暮らしがあり、人生があり……。それら全てにかけがえのない意味と価値があったのだ。あれを再び取り戻そうとする行いを拒むというのなら、せめてそのことを覚えていてくれ」という意味ではないのか。