このブログがD-DAYツアーの演出についての分析してるんだけどすごく…面白い。自動翻訳でも結構意味取れるのでぜひ。
ここからは読んだ私の感想。
・トラウマからの治癒、治療というと、まるで「完全な状態」があるようだけどそうじゃなく、トラウマや不安を抱えたままでの自我の再構成の物語だ、という視点は共感。ポストモダン!
・AMYGDALAで終わって、古い自分を「火葬」して生き返りD-DAYを迎える…という演出で終われば大団円だったのに、最後の最後にTHE LASTを入れてきて、期待をある意味「裏切」った…この文では「後頭部を殴られる」演出の意味。ここはファイナルのファイナルを見た感想も知りたい。
私も答えは持ってないけど、最終日は「今日は幸せな気持ちでこの曲を歌います」的なことをいって最後にドアから出て行く演出。やっぱり「この日々があって、今がある」的なことなのかな…。なんとなくだけど「どっちに取ってもいいし、どっちでもある」って感じかなあ…
・SHADOWをはじめ、観客をその世界にものすごく没入させておきながら、「他者」だと気付かせる仕掛けがたくさんあるというところ。→ミンユンギらしい…ある意味突き放すんだけど、優しさから来る距離の取り方というか。
あと、凄く共感・同意したところは、ユンギの天才性は「すごく感覚的で本能的な形の天才」
「 理論的に構築して、というのではなく、ただ彼が何かをするとそれが理論に符合する」
ってところ。
面白いのは普段は理屈っぽくて、本を読んで勉強するのに本質をつかむ最後のところですごい感覚でつかんでる感じ?で、作品を出すときのコンセプトやら歌詞やらMVやらがいろんな要素を詰め込んでるのに、理屈から構築じゃなくて、感覚でやってて、確かめてみたらまさにその理論じゃね?みたいになっちゃう(ように見える)。
花様年華のイントロの「青春」とか、「SHADOW」のユングの言うところの影のとらえ方とか。
その天才性の極地が今回のD-DAYの一連の活動/作品だと思った。
今回何がすごいってアミを巻き込んで作品を完成させてるところよね…。演出を本物にしたのは現場のアミ(とユンギの)現場での経験ってところが。それを企画段階で見据えて、実行できる実力とアミへの信頼とか。
何言ってるのか自分でも分からなくなってきたので、ここまでにするけど、この「感覚/理論」の部分が、これまたナムギで正反対な感じがしてたまらない。ナムは感覚で捉えたものを最後に論理で構築していく感じ。ユンギはその逆っぽいのがね。