“それ”が顔を覗かせた瞬間、甘い香りが広がった。
袋の底に敷かれていた台紙を皿代わりにテーブルへと置かれ、飴色の果肉がよく見える。
「“選ばれし者”が何故私にアップルパイを? 否、そもそも本当にあの者から預かったのか?」
「間違いなく彼女からの贈り物ですよ。なんでも、今朝あなたを見かけた時の表情が気になったとかで、これで一休みしてほしいと言っていました」
「今朝…? 疲労はしていなかった筈だが」
「何か思い詰めているように見えた、だそうですよ」
「………よく見ている。まあ良い、ちょうど一息入れようと思っていたところだ」
その言葉通り、テーブルの上にはティーセットが置かれている。
流れるように紅茶を注ぎ、ブランデーを数滴垂らしたところで、サザントスさんは手を止めないまま何気なく尋ねてきた。
「お前も同席するか」
「え…よろしいので?」
「そのために2ピース入っているのだろう? 私が2つ平らげても良いが、あの者のことだ。お前の分として入れてあるのだろう」
実は、預かった時に「ロンドの分も入れてあるから、もしサザントスさんが忙しくて一緒に食べられないようなら、ロンドが1ピース持って行ってね」と言われていた。
シロップをたっぷり吸ったリンゴはとてもジューシーで、でもシャキシャキとした食感も残っていて、甘さより食感と風味を味わうタイプのアップルパイだった。
上に敷き詰められたクランブルにはナッツも混じっているようで、ザクザク感と香ばしさが食べていて心地いい。
それを紅茶で流すとアップルティーのように香りが広がって、幸福感が満ちてくる。
「おいしいですね、サザントスさん…!」
「ああ」
サザントスさんはもう食べ終わっていた。ゆったりとカップを傾ける様子は、アップルパイを食べる前よりもどこか和らいで見える。
ミトスさん曰く、朝方のサザントスさんは何か悩んでいたらしいけれど、それが解決できてたらいいなと思う。でも、もしまだ解決できていないなら……
「サザントスさん」
「なんだ」
「僕、もっと頑張ります。あなたを支えられるように――」
「1000年早い」
「せ…!?」
100どころの騒ぎじゃなかった。
「そのようなことを宣う前に甘えを捨てろ。剣の腕を磨き、観察力、洞察力を鍛えろ。決断を迷うな。この世を真に守りたいと願うのならな」
「う……」
容赦ない指摘の嵐にちょっとだけ気勢が削がれる。でもこれぐらいで凹んでなんかいられな――
「だが、意気は買ってやろう」
サザントスさんはそう言うと席を立った。剣を手に、扉へと向かう。
「さ、サザントスさん!? どこへ…!」
「教皇と話がある。お前は食べ終えたら裏庭で待っていろ」
「裏庭?」
「剣を見てやる。そこの頑張り次第では…お前に背を任すこともできるかも知れんな?」
「!!! 頑張ります!」
見間違いかと思うほど本当に微かに表情を和らげて、サザントスさんは「ではな」と言って部屋を出た。
バタン、と扉が閉まり、そのあとに暖炉の火が爆ぜる小さな音で静寂を知った。
「あの人の背を、守る存在……」
鼓動が速い。緊張もある。でもそれよりも興奮で頬が熱くなっていた。
ずっとあの人を追い続けてきた。いつか隣に立ち、共に人々を助けられるようになりたいと、そう思ってずっと頑張ってきた。
そこに大きく近付けるかもしれない。
残っていたパイと紅茶を平らげ、僕もまた部屋を出る。
外は日が傾いて気温が下がってきているみたいだけれど、お腹も胸も温かい。不調なところもなく、コンディションは最高だ。いまさら寒さで揺らいだりしない。
「頑張ろう…!」
心地良い高揚に包まれながら、僕は裏庭へと向かった――
その優しさには胸が温かくなったし、サザントスさんとお茶できるかもと思うと心が弾んだし、実際に今相伴に与れて、とても嬉しい。今日はいい日だなぁ……。
「その顔を仕舞わねば部屋から追い出すぞ」
「しっ、失礼しました! ありがたくいただきます」
自分の分の紅茶を注ぎ、サザントスさんの向かいの席へ。
書き損じなのか既に用済みとなっているのか、皿の代わりに使えと紙を渡された。
ずっしりとしたアップルパイを手に取ると、サザントスさんは既に食べ始めていた。表情からは味の良し悪しが窺えないけれど、もくもくと食べ進めているところを見るに、悪くないんだろうなと思う。
いや、彼女がわざわざ買い求めるくらいなんだ、おいしいに違いない。
「いただきます」
思い切りかぶりついたアップルパイから、クランブルとパイ生地がぱらぱら落ちる。一応手で受けてはいるけれど、見た目より少し崩れやすいみたいだ。
潰さないように気を付けながら、もう一口。