過現未
シレン6のDLC、もっと先かと思ってたら明日からか
なんかこのウインクねっとりしてて面白い
あったけぇ……
https://x.com/haraajukku/status/1830593020594704635?t=xIpVEsHJ6dQhFzlYzK0dRg&s=19
自己肯定感の強い人(要はナルシスト)、最初の印象はいいけど、しばらくしたら一気に嫌われだすという研究ちょっと面白い。実感としてもそんな気がする
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/9599439/
昔働いてたところ、日頃からめちゃくちゃやんごとなく香しい方がいて、ある時あまりにもやんごとなくて、隣の席の人が体調崩して早退したことがあったな……
一言で言うと「饅頭こわい」が今のホラーブームだ!
〈ストロング・ゼロ〉なんていう名前の商品がカルチャー・アイコンになったのも示唆的だな
「こわい」は恐怖と同時に「固い」ことを意味するけど、「柔らかい」という〈弱さ〉を隠蔽してしまう〈剛さ〉を、今のホラーブームはかつてのホラーブームとは違って、象徴している面があるのかもしれない不安的であることよりも強迫的であることを選んでいるというか、色んな矛盾が重なり合ったところに出てきたのかもしれない
かつての学校の怪談ブームがある意味で、噂を媒介にした〈脱学校的なもの〉としてシステムの外を求めていたのと逆で、今のホラーブームはむしろ異界を学校化していくことで管理、統治していき、他者への接触恐怖と不安を克服しようとする(というより自己隠蔽していく)時代精神の特徴が現れているのかもしれない
ただホラーは引き続きジャンルとしてはそれでも他者がやって来るという偶然に賭ける傾向があるけど、ホラーを受容する側には見えない他者=不安を視覚化したいという願望があるとすれば、ホラー作品を巡る文化はけっこう入り組んでいるし、表象と受容の間にズレがあるからこそ、不安への対処法であると同時に、その僅かなわからなさが言い知れぬ未解決のものとして、渇望の源泉になっているのかもしれない
考えてみたらliminal spaceからbackroomsが出てきたのが象徴的で、不可視の不安や崇高性から可視的な恐怖に戻ったのと、scpにしてもそうだけどナンバリングしたり制度化することで管理しやすくするという発想が同時に現れるのも特徴的かもしれない
愚行結社はちゃんと歴史を辿ったら有意義なものになりそうだけど、かなり視野の広い論じ方じゃないとつまらなそう
キミアから化学に脱皮するときの研究者のサークルの名前がルナ・ソサエティなの面白いなイルミナティことバイエルン啓明結社と同世代。名前的にはルナティックなので愚行結社の伝統もありそう
ホラー療法によってトラウマを植え付けられた被験者が十三年の時を経てかつて実験を主導した医師へと復讐するべく立ち上がる……さる富豪から別荘への招待状を受け取り、離島にある豪華な屋敷へと踏み入れた医師一行、次々と襲いくる謎に包まれた惨劇はかつて自らの提唱したホラー療法の過程をなぞっていて……みたいなメタ的なホラーコメディありそう
アニメ療法が提唱されるんだから、ホラー療法もありかもしれないと思ったけど人工味の強い曝露療法みたいなものだな
最近のホラーブームの比重は恐怖じゃなくて不安の方にあると考えると、ホラー作品は不安への要石みたいなもので、ある種の道の神への信仰へと繫がるから実は道祖神信仰としてのヘルメディズムだったんだね(?)
なんでホラーブームなのか、個人的に世紀末的なものの延長から来る不安や倦怠感への対処としての逸楽という路線かと思っていたけど、キェルケゴールの不安論でも恐怖の志向性と不安の無志向性みたいな話を確かしていて、そこから考えると、不安への対処として、ホラーを媒介にすることで不安から目に見える恐怖(作品であれキャラクターであれ)へと対象を意図的にずらしつつ明確化するという、倒錯というかある種の逃避的な欺瞞なのかもしれない
すっかり秋
山田俊雄の漢字は究極的には全部当字みたいな考え方はとても同意
あと関係ないけど、柳瀬尚紀と山田俊雄(山田孝雄三男)の対談読んでたら出てきた山田俊雄が父親に軽い気持ちで質問したら父孝雄が大量の本を持ってきて三十分でも一時間でもきっちり教えて最後に教訓めいたことを付け加える癖があったみたいなエピソード、オタク仕草過ぎて微笑ましい
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