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逆に考えると、幽霊は死者として生前の人格が意識されるけど、お化けになっちゃうと人格は剝落して却って剝き出しの生命(?)力に溢れる感じがあるな(一方で場所が限定されて、地霊に変換される)
柳田國男の魂観では、死によって名を喪失すると、原初的な存在である〈タマ〉に還るとされるから、お化けの方が匿名者としてそういう根源的な混沌の力を引き出せるのかもしれない

その辺の境界を意識的に曖昧にさせて、お岩さんを生み出したのが鶴屋南北の作劇術で、棺桶が舞台に出てきたら南北と思えと言われるくらい死と混沌のモチーフが好きだったそう
四谷怪談でも葬送の場面でカンカン踊りが始まる件があり、まさに西洋でいうダンス・マカブル
西にグレイを代表とする墓畔派があるなら、東は南北を中心とした棺桶派というのを考えたら、面白いかもしれない(ともに18世紀の人物!)

柳田國男『妖怪談義』の「幽霊」と「お化け」の違い
・お化けは特定の場所に現れるが、幽霊は場所を選ばず追い掛けてくる
・お化けは不特定多数を相手にするが、幽霊は特定の対象を相手にする
・お化けはどの時間にも現れる(基本は薄明の頃)が、幽霊は丑三つ刻に限定される

お化け(化物)はとにかく大勢を怖がらせるのが主眼にあって、幽霊は個人的な怨恨を動機としていると考えたら、何となく妥当な気もしてくる

夏の間に四谷怪談ゆかりのスポットめぐりたいな

アイコンがにっこりしてると何言ってもにっこりしててにっこりできてお得

前々からにっこりしてるアイコンにしようと思いつつ、トキって見れば見るほど可愛くないから難航してたけど暫定的ににっこり

羽田空港から徒歩で脱出するやつやってみたいけど今やったら倒れそうだな

ブルームの『影響の不安』読みたいんだけど、文庫化しないかな……

「穿った見方」の語感にあるいかがわしさというか胡乱な感じは、江戸文芸のレトリックのひとつ〈うがち〉にルーツがあるからなのか
人間の欠点を〈穴〉と呼んで、笑いをとるためにこの穴を誇張して表現したり、意表を突くために無責任にラベリングしたりする技法が〈うがち〉で、滑稽と即妙が優先されるあたりに今のお笑い文化にまで通底する要素がある

お土産で頂戴したナスのプロヴァンス風炒めの缶詰
酒のつまみにちょうどいい感じ :oshirase_blobcat_fork:

›「わからなさ」を受け入れることは他者への畏敬の念をもたらし、それでも「わかろうとすること」は他者とつながるための回路になる。「わからなさ」に偏ると神秘主義的になり、「わかる」に偏ると操作主義的に……

〈わからなさ〉に閉塞しないために倫理があって、〈わかる〉が過剰にならないために正義があって(逆でも成立するかもしれない)、どっちの極においても突き詰めるために壁を突破しようとするとき、存在論的な〈傷〉の受け入れと、存在的な修復の技法が大事なんじゃないかという気がしている
〈おとな〉になるってそういうことなのかもしれない……:ablobcat_dadakko:

x.com/ktowhata/status/18202410

竹内常一:子どもの自分くずしと自分つくり

まだ読み始めたところだけど面白い
規範意識(ここでは学校)への過剰な適応による暴力の発生という話題はもう少し掘り下げたいトピック
いま流行りの「正義中毒」というのも規範への過剰適応だろうけど、過剰なものって欠如しているものよりも気づかれにくいし、問題視されづらいけど、たぶん傷という欠如の存在論とはまた違う存在様式によって生まれる問題がある
過剰適応の背景にも傷への不寛容があるだろうけど、言ってみれば型という規範がかさぶたのまま剝がれないみたいな状況かもしれない

爪切り失くしたと思ってたらティッシュ箱の中から出てきた
たまたまティッシュ箱落とさなかったら気づかなった

スーパーで
買ったたこ焼き
めっちゃうまい

スーパーで買ったたこ焼きめっちゃうまい川柳

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