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馴染みのない地名たちが通り過ぎていく……:ablobcat_odekake_car:

弥生時代に村落を荒らしてた頃ぶりにバス乗ったけど電車とはまた違う味わいがあるな

大人になるということと曖昧になることはけっこう近いところにあるのかもしれない

寝る前にちょっとだけ阿部謹也『世間とは何か』読んだ
世間を非言語系の知、個人が属する曖昧な環とするのは肯ける。もっと言えば、非言語というよりは前言語的な言語の領域で、混沌ゆえにケガレが付帯しうるし、文化や社会を規制する力ともなるんじゃないかという気がする

近代短歌史上の係結の破型、前川佐美雄にも先例があるらしく、こその省略法は有名だけど、さすが佐美雄(俳句にはけっこうあるらしいけど)

岡井隆の
組織、萌黄の忠誠をこそ求め来ぬむらさきの苗われは捧げむ
イコンからイデアへわたる石のうえに橘ぞ濃き憂ひろぐれ
の二首とてもいい。係結を無視してるのもすごいけど、措辞とイメージの面白さがある

他者としての異邦世界を開示する芸術作品という意味では、山中智恵子とか塚本邦雄の撰の方がバランスとれてるようにも思えるけど、こういうところにも個性が出るから面白い

春日井建が夕暮はを採ってないのも面白い
秋なら浦の苫屋の幽玄の方がということだろうけど、でも夕暮はの方が作品としては美しい。春日井建にとっては美醜よりも崇高の方が評価軸として優先されるのかもしれない

塚本邦雄に言われて新古今から三首ずつ選ぶよう言われた春日井建が定家から三首、寺山修司が式子内親王から三首、岡井隆が西行から三首採ってるの面白いな

塚本邦雄『夕暮の諧調』読み始めたけど、冒頭から大伯皇女に仮託しながらの大津皇子論で引喩の天才過ぎて千年前に生まれて塚本に引用されたい人生だった

レヴィナスあんまり好きじゃなかったけど
「存在することはそれ自体としては、世界のうちで一箇の悲惨である。この悲惨さのうちに、私と他者とのあいだにはレトリックを超えた関係がある」
っていうフレーズとてもいい。そして、レトリックを超えることは、すなわち支配と暴力を超えるということらしい

伊豆にある神津島行ってみたいな
単純にフェリー乗りたいのもあるけど

キリコ展のチケット買ったぜ!!!Go!!!!!

移動することと、名前があることの間はもっと考察されてもいいかもしれないテーマだな
ジョン・アーリとかなんか書いてないかな

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