大学で新左翼学生運動やったことがアイデンティティの全共闘世代のひとたちがマスコミや文化産業に入って、「俺たちは学生運動やって革命目指して偉かった。でも無駄だった。挫折した。学生運動は無駄。かっこわるい。これからは軽く生きるのがナウい。これからはポストモダン!!」みたいな流れをつくったから、そのあとの世代は、まじめに勉強したり運動したりすることがとてもやりにくくなった。あと、こういう文化産業ヘゲモニーおじさんは、機嫌をとってくれる「全共闘世代偉い」史観の若者を業界に採用しつづけるから、「父よ、あなたはえらかった」みたいな「全共闘は凄い」的な企画がずっと通り続けてる。
ヘゲモニーおじさんたちは自分たちこそ真の左翼で他のはダメ、みたいな妨害もするし、運動も文化産業もめっちゃ衰退化させられた。私は、そういうおじさんたちとそのエピゴーネンに対して、ずっと怒ってる。
社会的な弊害も大きいし。例の早稲田の文芸のセクハラ事件だって、そういうミソジニーおじさんが業界を牛耳ってそこに参入したい若者を手下にしてきた構造を温存してきたから起きてるんだし。
そういう新左翼文化人のミソジニー空間でいっしょにお酒飲んだり、交流を自慢してるひとっていまだにいるけど、自分もいわばホモソ共犯者なのになんで誇らしげなのかな、と思っている。