Elegant variation的な感性だろうか。ただ、AI応答システムとして、そのまま返すよりも文型を少しでも変えるほうが、「内容を理解して反応してくれている」という人間的な印象をユーザーが抱きやすいという理由でそう設計されているのかもしれない。(そしてその意図が他の言語への翻訳に反映されていない) [参照]
最近なんとなくノリでおうちのGoogle Nestを英語設定にしてるんだけど、「Turn on the air-con」と言うと「OK, turning the air-con on」と返され、「Turn the air-con on」と言うと「OK, turning on the air-con」と返される。
要は必ず前置詞の位置を命令文とはひっくり返して応答されるんだが、英語ってなんかそういう阿吽の呼吸的なのあるんすかね?
「他人のを知ろうとしてはいけない」理由を理解するにはセクトラルモデルの意義を理解しなければならない。
セクトラルモデル自体の説明はたくさんある(例: https://note.com/mickmack/n/n903705b82eff )ので割愛するが、要はユーザーの扱う「共通ID」を直接機関が扱わないようにすることで、機関が知りうる範囲を限定することがキモだ。フラットモデルの反省を元に、機関の力を弱めたモデルとも言える。
ところが、「全国民に配布された共通ID」という代物自体の強力性はフラットモデルと変わらないことに注意しなくてはいけない。たとえ公的な機関がセクトラルモデルを採用しても、第三者機関が多数のIDを収集(名寄せ)すれば、そこにフラットモデルが構築されることになる。セクトラルモデルは、他者によるフラットモデルの抑制することができない。
したがって、「他人のマイナンバーを収集する行為」が禁止されることになる。
マイナンバーは人に知られて良いのかどうかの件、聞かれた時にどう答えたもんかなと思っていたが「他人に知られても良いが、他人のを知ろうとしてはいけない」というのが分かりやすい説明かもしれない。
近年のライブ配信文化とかSNSの隆盛を見ると、人間って思ったより人間大好きだな、と思う。
「自分は人よりも歩くのが速い」と思っている人の数は「自分は人よりも歩くのが遅い」と思っている人の数よりも多い、という仮説を持った。
RAMって信じられないくらい安くなったなぁという気持ちと、いつになったらポストDRAM出てくんの?という気持ちと。
のらりくらり