権威性と被害者性を併せ持った者による他者への加害が生じたときに、どのように批判をするべきなのか。ということをずっと考えている。加害そのもののみを批判したとしても、その者の別件における被害を持ち出し「揚げ足をとるな」「追い詰めるな」といったような反論がされてしまうし、そのような反論は権威性によって強化もされる。でもそれは別件だ、反論としてはズレている、と言ったところで無敵と化した権威性の前ではほとんど意味はない。そして「残酷さの低減」という観点から考えるならば、たしかに慎重な批判が必要でもある。だからこそやりかたを必死に考えて慎重にことを進めているが、そのことは考慮されずに単に揚げ足とりとして認識されてしまう。
権威になればなるほど「謝ったら負け」の構造に埋め込まれてしまうとも言える。(敵に)負けないでほしいという他者からの期待もそこには加わってくる。その期待が権威性を高め、かつ権威=無謬という認識も強化してしまう。そのようにして「些細な加害/被害」とみなされたものが見過ごされ、見過ごされまいと抗えば邪魔者扱いをされる。