自らの存在の主張、その方法を間違えているということ。しかしイーロン的な者たちには、それ以外のやりかたがわからない。ゆえにそれらはすべてSOSだと捉えることが必要なのだとも思う。孤独や不安、何者にもなれないおのれへの絶望、そういったものをどうにかしたいしどうにかしてほしいが、その方法がわからない。そういう状況にある者に「お前は馬鹿だ、クズだ、害悪だ」というようなことを言ったところで改善はしない。そんなことは自分でもわかっているのだから。かれらは「自分はよい人間になることができない」と考えている。ゆえに、そのようなかれらを「変えたい」と思うのであれば、必要なのは罵倒ではなく療養になる。そして、残念ながらかれらにとって批判は罵倒にしか思えないし、「自分はよい人間になることができない」と考えている者は善意から差し出された救いの手すら拒絶することがある。
かれにとって救いの手と感じられるものは、自ら同様に「おのれを痛めつけること」によって自身の生存の主張をしている者の存在である。当然、それは見せかけの救いでしかなく、常に濃度を増していく悪循環でしかない。SNS的インターネットという場所はそれと相性がよすぎるのだろう。