そもそもの問題として「著名人に直接触れる」という行為になんらかの快楽を覚えてしまう、その状況自体に違和感を持つ必要があるのでは?これ、性別問わずありますよね。さわっちゃった!みたいなの。性的欲求とはまた別の次元で、あるいはそれをも包括するさらに大きな次元で、他者に触れるということはどういうことなのか。著名人に直接触れることが武勇伝的なものになる感じとか(触ってやったぜ!)、そこまでいかずとも、知人に話すネタになる感じとか(肌すべすべだったよ!)、本当はよろしくないことなんじゃないの?それがプライベートゾーンであるかどうかとか以前の問題として。件のアーティストのはセクハラ・性暴力として捉えるべきものでもあるけど、それだけで終わりにしていいものじゃないと思う。
で、さらにとても嫌な話をしますけど、そういう絶賛推薦帯コメントとか書いてる書店員、基本的に「原稿料はもらってない」ので。あれ、版元がゲラ先に読ませて「感想コメント付きで発注してくれたら発注数どおり納品します」的な条件で釣ってるときもあるんですよ。意味わかります?「感想送ってくれないと入荷しないですよ」ってことです。人質なんですよ、感想コメントが。版元の販促費は0、本は入荷される(=版元の売上はとりあえずたつ)し、原稿料払わないと依頼できない著名人に頼まずとも帯が完成する(しかもその書店員もそれなりに界隈では有名だから宣伝効果はある)、書店員も自分のコメント載るからうれしい、誰も批判しない、みたいなね。そして当然、ゲラを読みコメントを書くのは勤務時間外。
出版業界の状況・空気感はそのまま日本社会の縮図なんですよ。やりがい搾取でなんとか構造を支えて、問題の根本にあるシステムの不具合を直そうとしない。いろいろなものごとが美談でなあなあにされる。差別やヘイトみたいな面倒なことには近づかない。権威主義的で、少し偉くなる=有名になる=売れると引っ張りだこになるし、なにをやっても批判されなくなる。
批評精神、たぶん距離のとりかたのことだと思うんですよね。あまりにも近くなりすぎると批判できなくなるし、逆に遠くなりすぎる=崇め奉るのも同様に批判行為へのハードルとなるので。アイドル=著名人の身体に無頓着に触れる行為も、これと似た構造にあると思う。アイドルが所有物と化し、ある種の見下しのような感覚も内在させているであろう無遠慮な触れ合い(特に男性→女性へのそれによくあるパターン)。これは距離感が近くなりすぎた場合。逆に遠くなりすぎて崇め奉ってるパターンが、花道歩いてくる歌手に手を伸ばして触れたくなっちゃう系の欲求。こっちは性別も年齢も関係なくあるけど、これは無遠慮とかではなくむしろ遠慮の塊であるがゆえの「あわよくば」みたいな感じ、ありますよね。いずれにせよ、適切な距離をとれていないし、特に後者の場合アイドル=著名人への批評行為はほぼ不可能でしょう。畏れ多い存在なんだから。
あ、大事なこと忘れてた。だから私は人文科学系などの本が「絶賛」的な態度で紹介される/売られているのもよろしくないと思ってます。エンタメ小説などと同じノリで作って売って読まれていいものじゃない、どんなに良質なものであってもそこに批評精神がなくてはならない本までもが、その「褒め」ムーブメントの中に置かれてしまっている状況、絶対によろしくないので。