理屈が通じない環境においてはもはや最も突拍子もない選択肢だけが効果を発揮できるのかもしれず、この「日本社会」という地獄をどうにかするには、現・日本社会に住んでいたくない者たちで分離・独立した国家(ならびにそれに近しいなんらかの共同体)をぶちあげるのがいちばん現実味があるのかもしれない。少なくとも、そのような動きを見せることで、政治や社会に関する物事に対して「これまで自分事だと思っていなかった」者たちになんらかの当事者意識を芽生えさせる可能性がある。日本かそれ以外かどちらかを選ばざるをえない、そんな状況に強制的に置かれることでしか己の無責任さに気づけないのは虚しいが、理屈を無視することになんら罪の意識も持たない権力者が存続している環境では、なにをやってもジリ貧にしかならない。もちろんテロのようなやりかたはいけない。それは「いまある権力の座を奪う」ことにしかならず、椅子に座る者が入れ替わるだけでなにも変わらない。ゆえに新たな椅子を用意する必要があるのではないか。
入管法もマイナンバーもなにもかも、ちょっとでも理屈を考えれば自分たちの利にならないものなのだから、ほんの少しでも自分事として捉えられるようになるだけでいい。しかしこの世のほとんどはマジョリティ=気にせずに済む者なので、当然自分事として捉えられる事象もほとんどないし、マイナンバー制度などの「明らかに自分に害がある」ものですら「関係ない(もしくは自分に変えられるものなどない)」と思っているのだから、なおさら道のりは果てしない。
ゆえにいつだって課題は「自分事として捉えられるようになるか」であり、同時に「自分には影響力があると自信を持ってもらう」ことになる。むしろ後者にこそ力点を置きたいかもしれない。
なので、基本的にはマジョリティ(つまり私)はいかにしてかれらのケツを叩くか、あるいは頭を撫でるか、ということを考え実践せねばならないのだけど、これこそまさに己の無力感を実感させられるものでもあるので、ほんとうに嫌になる。そして「わかりやすくて大きな」結果を欲し、雑な振る舞いをし始めてしまう。大義のためには犠牲もやむなし、みたいな。