ではなぜTwitterに残っているのかというと、少なくとも本屋アカウントは「Twitterでしか情報を得られないお客さんがいる」からで(逆にTwitterから避難せざるを得ない人もいるためMastodonも運用を始めている)、さらに言うと出版業界はTwitterにどっぷり浸かっている業界の筆頭でもあるから。しかしイーロンマスクや「故意に差別をやっている」ようなアカウントがTwitterで幅を効かせていられるのも、現実世界においてかれらが十分な批判を受けていないからで、その原因の最たるものが出版業界の反差別意識の低さにある。つまりTwitterというインフラをダメにした一因は出版業界人の意識の低さであり、自分たちのビジネスの場が腐っていったのは自業自得だということ。しかしこのようなことをTwitterで言ったところで相手にされない。「こんなに本(屋)の魅力を高めたり伝えたりしようとがんばってるのにうまくいかない」悲劇のなんちゃらになることで、現実逃避をしているから。
出版業界人、真面目な人ほど「本が好き」すぎて本のことしか考えられない人が多い。思考回路が「本が好きなのが当たり前」のことが多く、ゆえに「なんでこんなに面白いのにみんな読まないのだろうか」とか本気で言ってたりする。あなたは相撲好きですか?あるいはイグアナ好きですか?え?興味ない?こんなに面白いのになんで?とか言ってもたぶん理解しない。だから「人は金やらなんやらの各種余裕がありさえすれば、特に興味のないものでも手を出すことがある」ということに思い至らない。この世のほとんどの人は本が好きではなく、ごくたまに「なんか読んでみよっかな」くらいで本を読んでいる。しかし各種余裕が失われているため、その頻度が減っている。ゆえに「政治/社会を変えること」が解決のための最短距離になる。しかし「本が好き」すぎてなにも見えない。あるいはそれを言い訳にしてなにも見ないようにしている。
だから自著は「本」を通してこのようなことを「前向きに」伝えようとしたのだけど、うまく伝わるかどうかはわからない。かれらはみんな「本の力」を信じている。本が自分の人生や世界全体を変えるということを、かれらは信じている。にもかかわらず「本がこの社会に実際に与えている影響」については考えようとしない(特に悪い面については)。なのでその前向きな部分(=本はいいものだよね!人生変えちゃうよね!救われるよね!)を否定せず、同時に「ちゃんと本の持つ力の怖さにも目を向けようね」ということを書いた。どうせほとんどの人には伝わらない(というか読まれすらしない)。しかし数人でも意識と実践が変われば、そこからなにかは生まれる。とりあえず初版3000部を売り切って重版をかけるレベルまではいきたい。
そもそもこの本あるいは私の日々の本屋運営が「異端」的な扱いを受けてる時点で、出版業界の意識の低さがわかるというもの。「え?こんなの当たり前体操じゃん?なんでこの本がわざわざ出るわけ?みんなが知っててみんながやってること書いてあるだけじゃん?新しいことなんにも書いてないよ?」にならなきゃいけないにもかかわらず......である。だから半分は出版業界人以外の人に向けて書いてます。私たちには社会を変える力があるし、実際にもう変えている、だからこれからもがんばろうね、そういうことを伝えるために。まだ公開できてないけど、帯に入れてもらった「みんなのための本屋論」という文言はそういうことです。