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佐藤剛裕 さんがブースト

サーバ管理者さんのページ覗きに行ったら「差別も表現の自由」的な妄想を元に、書くのもためらわれる、見ていて気分が悪くなる差別思想をこれでもかと開陳してサーバ管理者さんに投げつけている差別主義者のtootに対し、奇特な事にそのサーバ管理者さんは「差別は表現の自由ではない」と返信していて、ああ、これは大変な作業だなあ、と改めて感じました。

やっぱり人権とか差別とか、基本的な教育がベースにない人々相手に世界基準ベースの反差別を適応しようとすると地獄絵図ですね。

そのような状況で努力されているサーバ管理者のみなさま、本当にお疲れ様です。
ありがとうございます。

うさにゃんとさめにゃん、因幡の白兎の話とはあまり関係がないらしいにゃん。

あかん、完全に歯がないあかんやつになってる……。

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飲み屋でベーコン食べてて歯に挟まった筋を爪楊枝で取ってたら、15年前に入れたブリッジが丸ごと取れてやばいことに。懐が痛すぎで踏んだり蹴ったり。

お好み焼き染太郎に入れなくてここに流れるあるあるパターン

僕が勉強していたカトリックの中学高校、「他者のための人間であれ」というのを校訓にしているので、もしも新幹線の中で刃物振り回してるやつが誰かに襲いかかろうとしているのに遭遇したら、本当に身体張って止めに入ってしまう。

それについての僕の答えは、その彼は座席クッションは外すと防具として使えるようになっているということを知っておけばよかったとは思うけれども、彼が身体張ったこと自体には何の違和感も感じなかった。

自分の利益保護のために他者とのあいだにきっぱりを線を引くようなプロテスタント的な個人主義みたいなものを僕は美徳だとは思わないし、そう思わないことを依存症的だとも思わない。

僕は父方が先祖代々カトリックで母方は戦前の共産党員の家に生まれて、僕自身もイエズス会の中学高校に行っていたんですが、アメリカのプロテスタンティズム的な個人主義のの資本主義、もっというと新自由主義との親和性の高さについてなんというか違和感を強く感じるんですよね。それって本当の利他なの?自己犠牲の精神は?みたいなところで。

Moodle まずは教員向けマニュアルでも読んでみるか。

糖質カットはじめたので、小腹が空いたな、パスタでも茹でようかなというときは魚の干物を炙って食べることにしている。今は「食べる小魚」つまむだけにするか、いっそアジかサンマの開きの干物行っちゃうか迷ってる。

さんまの開きの真空パックを焼いておかずに。

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Moodleに詳しい方ってMastodonにいらっしゃるかしら?

とりあえず今日のところはこんな感じで。

佐藤剛裕 さんがブースト

心療内科や精神科医に通うということがスティグマ化してるのも、発達障害も精神病も一緒くたにされて蔑まされるのも、どっちも「健全」で「普通」で「ポジティブ」であることが社会参加の約束事になって市民を呪縛していることの証左だなと思う。そうして追い詰められるのは社会そのものなのに、寛容や包括、理解よりも、排除と選抜による団結のほうが楽だからとどんどん「健全」なディストピアに寄っていってしまうというか。

自分が鬱になって、ハッピー剤投与しはじめて臨床心理士さんと話し始めて2年半だけど、徐々に自己肯定感の底が出来始めるとか、ASDグレーとわかるとか、個人的には心療内科には感謝しかない。
誰でも専門家に助けを求められる社会になるの大事

あえて言うならカウンセリングに保険が適応されないのが…貧困層がここでも切り捨てられている

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Fedibird

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