スター・ウォーズ:アコライト(The Acolyte)6話見た。
ジェダイの教義は偏狭で排除される人を産んでしまう、違うやり方(つまり闇の方向)で力に到達できる、という考えがシスを産んだのか?オーシャをつまり闇の方向へ導いてる感じがするのだが、マンダロリアンもそうだけど光と闇といった二項対立とは違う方向性を示しているのもドラマの特徴な気がする。と考えれば、オーシャやメイは、ソルはどうなるのか?
いつも思うけどあと2話で終わるの〜?なんかのばしてる感じもするが…。絵はセイバーを手にして悲しげな目をするオーシャ
スター・ウォーズ:アコライト(The Acolyte)8話見た。絵はソルがセイバーで相手のセイバーを切断する場面。
ソルとシス?、オーシャとメイのアクションすごかった。最後までああなるのかな?こうなるのかな?と想像したけど、シスの誕生やフォースの集中というモチーフが出てきてオッとなる割には、なんだか消化不良な感じが残っちゃったなあ〜。私的には、議員がいう「ジェダイは制御できないもの(=感情)をできるといっている」ていうのが、最終的なテーマだったんじゃん?と思っている。その点はいいけど、あまり分かりやすい構図で提示されていない。いや、複雑さを描けてないといった方がいいか?
とはいえ、ジョンジェさんはとても良かった!お疲れ様でした。
スター・ウォーズ:アコライト(The Acolyte)7話見た。
絵はソルを嗜めて肩を叩くインダーラ。
オーシャがジェダイのもとへ来るきっかけになった過去のことが語られる。結局は個人的な事情が先走って(ソルはパダワンが欲しかったから、トービンはフォースの集中を発見し旅の成果をあげたかったから)、魔女たちの自己決定の儀式と絡み合い、最悪の結果になってしまったのか。しかし個人的すぎて、もう少し共和国側の少数民族を排除するような性質も絡めた方が良かったのかなあ。シスとのつながりはこの弟子を欲しいという願望なのだろうか?