マティス展の感想というよりは批判のつもりで書いた文章です。植民地主義についてどう考えるのかみたいな話です。
https://blog.tenjuu.net/2023/04/henri_matisse
@tenjuu99 @tomooda @tenjuu99 個人的には、美術館などが実際にどの程度「批判的構成」ができていないかが分かっていないのですが、美術館に限らず「研究という営み」とそれ以外の社会のあいだを繋ごうとするシステムにとって、大切な課題だと思いました。
まず好きになってもらう、興味をもってもらう。そして積極的に関わってもらいながら批判的な視点を育てるのはその後にもってくる方が、裾野を広げつつピラミッド全体を大きくするために有効な方法である、ということを環境系の NGO や行政施設で教わりました。
しかしぼくのしっている日本の施設やグループでは、裾野だけ広くすることだけが活発になり、結果、人口減少と高齢化で裾野の広さは何とか維持されているものの、ピラミッドはむしろ小さくなってしまった印象があります
@tenjuu99 @tomooda 引用されていた天重さんの記事「見果てぬ近代 2023年..」も合わせ、興味深くよみました。
企画展などのテーマが集客できる印象主義などの人気作家に偏ってしまうのは、個人的には大変残念なことです。しかし、人気作家の企画展でも、集まった人たちがつぎのステップへ進むきっかけになるような展示構成をつくるのも可能な気がするのですが、いかがでしょうか。
美術館から外れますが、博物館では「恐竜展」の集客力はすごいとききます。かなり前になりますが科博の恐竜展に行ってみたら、恐竜そのものよりも「鳥の起源」に関する複数の仮説がテーマで、専門家にもそれなりに刺激的な展示で、これはうまいなと思いました。いわゆる恐竜ではない鳥の祖先系統の学名を口にしている小学生や中学生たちをみて、そう実感しました。
美術館で作品そのものに触れるだけでも大きな価値があると思ってきましたが、その作品が生まれる背景にこれほど強烈な議論があることに触れることができ、本当によかったと思っています
美術館には美術の啓蒙活動という側面があり、おっしゃるとおり、そこが研究と社会を繋ぐ活動になっているとおもいます。
日本の場合、西洋芸術の紹介というのがなかなか厄介な問題があり、というのも、借り物で構成されることが多いためお金がかかってしまい、集客できる人気作家に偏ってしまう(印象主義など)。マスにアプローチする都合上、観客の知識レベルも想定しづらく、レンジをひろくとって、かなり初歩的な説明も必要となってきます。
これをしばらく続けることにはとくに問題ないとおもうのですが、今回見に行った展示が20年前にも同じ作家の回顧展をやっていて、説明のあり方にあまり進歩がなかったように感じられました。アカデミックな領域では20年のあいだにあきらかに進んでいるはずなのですが、それが啓蒙レベルにはおちてこないのだとすると、やはり美術館としては観客を育てることに失敗したのではないか、ということを感じています。つまり、集客はするがなかなか教育を回路に組み込めない、というのが現状なのかなと感じました。
このあたりは美術館によっても状況が違っており、たとえば国立近代美術館では、常設展は所蔵作品でいろいろできるので、学術的な研究を反映した内容の展示を展開して、行く度に新鮮な発見があったりします。これは集客しなくてもよいからでもあるとおもいます。
担当学芸員の方が、わたしの記事を読んでだとおもいますが、今後の課題とおっしゃっていたので、たぶんここで述べたような課題感(集客と啓蒙の課題)があるのだろうなとおもいました。
https://twitter.com/ton0415/status/1652704133835800576