トランプ氏に続いて斎藤氏、正直、驚くようなことは何もない。
つまるところ、世界というのはそういう場所なのであって、だからこそ我々は小学校のころから教師やクラスメートの理不尽に悩まされ、長じては上司や同僚、仕事の関係者の世界観に絶句し、メディアにうんざりし、ベストセラーには共感できず、メジャーなウェブサービスを遠ざけ、マイナーなコンテンツに熱中する人生を送ってきたのだ。政治だけがそうでないと期待する方がおかしい。
歴史もまた、我々の目から見て理解困難な決定や行動にあふれている。それでも、大局的には良い方向に向かう(あるいは、その結果に我々が順応できる)のが人類世界というものなのだが、局面局面では耐え難いことが沢山起こる。
SNSとはそういうことのためにあるので、耐え難い時に、耐え難さを共有できる環境が作れる場所なのだ。そうして、何とか生き延び、命が尽きれば死ぬ。我々はそのようにできている。何も成し遂げる必要などはない。生きよう。
私は子どもの時に、父と母が「お前を絶対に軍隊のある国の子供にはさせない。戦争をする国の子にはしない。」って言ってくれたのをずっと覚えてる。両親はずっと反戦を掲げてきた。外国人差別にも、部落差別にも声を挙げてきた。PTAや私の部活の保護者同士の会食でも「寝た子を起こすな」と人権教育に差別の話題を持ち込むことに反対する他の親に対してもきっぱりと「そんなことはない」と話をしてきた。丁寧に対話をしてきた。私はそれをずっと見てきた。
父には選挙権がない。今は両親とも立派な高齢者。
私や私のように選挙権があって、自分で外に出て行って誰かと話す元気がある人間が諦めたら、抗うことをやめたら、社会的に弱い人たちから順番にその割を食う。
だから絶対にやめないぞ。自分の力が弱いのを知っていても、決して安易に人間同士を分断するような言説にのっかったり、他人を「あちら側の人間」として自分と違う生き物のように扱うことは絶対にしないぞ。
たまに絶望するけど、何度だって生き返るぞ。
誰かが絶望して起き上がれない時に私が、私が絶望して起き上がれない時には誰かが立っていてほしい。私はそれを連帯だと思ってる。
あらためて
#公務員にも労働三権を
「SNS活用」って要は21世紀のプロパガンダでしょ。
兵庫県知事選、斎藤氏が再選確実 出直し選で返り咲き SNS活用し稲村氏に競り勝つ(神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/d864543219e86892209c4337bd11056b8090aa6d
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