確か小右記にもあったわ。明子の産んだ子の舞が、倫子の子より素晴らしくて道長が怒り席を立ったんじゃなかったっけ。確かに大人げないのもあるし、倫子がキリキリするならともかく、道長にとっちゃどちらも自分の子なのにねー。
角田光代『対岸の彼女』を読み終える。
なんだかねえ、読み進むうちに怖くなってきたのよ。葵とナナコの日々があまりにも儚くて壊れやすい輝きを感じさせるから。
すべての登場人物が"私の知っているひと"みたいだし"私"のように感じる。
確かに柚木麻子や山内マリコの言う「ヒエラルキーなしの女の子の話」だった。これってなかなかに稀有だよね。
玉ちゃんの言う"親友"がbosom-friendで、心の深いところが繋がっている腹心の友を表しているのがまた泣けた。
アンとダイアナを思い出させるからか。
戦争で傷ついていないひとなどいなかったと、号泣する杉田弁護士の姿に改めて思う。高瀬君への「おとなだから乗り越えないと」もおじさん達が自身に言い聞かせていた言葉でもあるんだな。
仕事をしたり、映画をみたり、料理をしたり、観劇したり、本を読んだり、散歩をしたり。悲観的な呑気ものでモノモチヨシコ