【終わらない文化祭】
教会でイベントが企画され、皆でワーッと盛り上がって準備して、困難にぶつかって祈って泣いて、打ち上げで笑って、神の家族最高!となって、すぐまた次のイベントが企画されて、またワーッと盛り上がって、というのが延々と続く、まさに「終わらない文化祭」だった。活動的なキリスト教会が陥りやすい現象だと思う。
教会で披露する歌や踊りは、基本メンバーがボランティアでやるし、練習時間も限られてるし、そこまで本格を目指すものでもないので、言い方は悪いけど「文化祭クオリティ」。でも教会で「神様の為に」やると、何故か「素晴らしい」と(内輪で)評され、一般人が見る価値があるものと見做されてしまう。
それが「内輪で盛り上がる為のイベント」ならいいけど、教会のイベントである以上「伝道」が目的の一つに入っていて、だから「良いもの」だし、「神様が喜ばれるもの」だし、「みんな頑張ってる」から、「一般人もありがたがるに違いない」と錯覚してしまう(少なくともうちの教会はそうだった)。続

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イベントに新来者はほぼ来なかった。その原因は「わざわざ時間を割いて見に来る程のものでないから」だけど、私達は「未信者は『霊的に』開かれてないからこの素晴らしさが分からないんだ」などと不遜にも思ってた。全然知らない団体の、文化祭クオリティの出し物を誰が見たがるのですか?という話なのだけれど。
私たちは「神の為」「伝道の為」という「良い」名目に乗っかって、次々とイベントを企画する「文化祭依存症」のような状態になっていたと思う。皆で準備して盛り上がり、困難を越えて実現させる、その過程で噴き出すアドレナリン依存症と言うか。だから結果(集客数や新来者の有無等)はガン無視していた。結局は誰かの為でなく、自分たちの為だったんだと思う。終

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