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小林よしのりの脳内じゃあるまいし、「カッコイイ戦争」なんてものは存在しないから。

> リアリティを追求する、という意見もあるだろう。しかし、〈反ヘイト〉を主題とする作品に求められるリアリティとは、ヘイト表現それ自体の持つリアリティなのか。その作品が真に〈反ヘイト〉を描きたいなら、そこに必要なリアリティとは、ヘイトによって、その宛先である人々、あるいはヘイター本人にいったいどのようなことが起きるのか、その心的過程についてのリアリティではないのか。

note.com/gendaibun/n/n61cc181b

colaboの件についてツイッターでちょっと書いただけで、そりゃもう、めんどくさい方たちがですね。なんで自分のほうが賢い前提でもの喋れるんだろうな。

政治的な意見の違いとかではなく、自分のほうが賢い前提でいるバカが無理。

本の書き手として、予備校講師という属性以外はまったく期待されていないとわかるとつらい。いや、もちろん参考書はそれでいいのだけれど、一般書は、なんというか、そういうのが書きたいんじゃないのよ。「もっと予備校講師としての色を前面に出して」みたいなことを言われると、一気にしんどくなる。まあ、予備校講師としての経験以外に何も持たない人間だから、そう要求されるのは当然なんだけれども。でも、やっぱり、しんどい。

はたと正体に気付いてしまった。前半で中継されていた場所が、一切出てこないのだ。例年であれば、年越しの前後で同じ場所をピックアップして放送しているのに、まったく見当違いというか、目新しい寺社仏閣ばかりが映し出される。

それだけではない。さっきまでと明確に異なる点があった。アナウンサーのメンツだ。テレビの画面に映っている女子アナは、2022年、つまり「ゆく年」の夏頃に局を退社し、フリーになっているはずだった。そして前半の中継は、彼女ではなかった。

混乱する俺をよそに、番組の放送が終わりに差し掛かる。アナウンサーの口から放たれた掛け声に、俺は耳を疑った。

「2022年、皆さんにとってよい1年となりますように!」

余計な時空まで飛び越えたことに心底後悔しながら今年(再)を過ごした事は言うまでもないだろう。

やっと会えたね、2023年。

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毎年の大晦日は「ゆく年くる年」を見ながら過ごすのが恒例だ。このしんみりとした雰囲気が何となく好きなのだ。どこかのお寺からにこやかに中継するアナウンサー。その背後には一目テレビに映ってやろうとおちゃらる連中がたくさんいる。ふと、彼らのようにはっちゃけてみるのも悪くないと思った。

23:59:59、日付の変わる瞬間、俺は「飛ん」だ。ベタベタなネタである。だがこの瞬間、俺は確かに「地球からいなくなっ」てしまった。人間の跳躍力で宙に留まっていられるのなんて、せいぜい1秒がいいところだ。予想した通りに、俺は床に着地した。なんて事はない。

ふと、違和感を覚えた。テレビでは相変わらず「ゆく年くる年」が、新年を迎えた各地の様子を中継している。放送は23:45に始まり0:15に終わる。いつものパターンだから既視感があるのも当たり前と最初は思っていた。だが、どうも何か変だ。なんとなく、繋がっていないような気がする。

儀式・儀礼的なものの魔術性を否定していくのが広義のリベラリズムだとスーパーウルトラざっくり言ったとき、その解放が個人を理不尽な抑圧から確実に救うと思うんだけど、しかし人間はそういう魔術性込みの共同性を完全に排除すると、それはそれでやっぱり耐えられなくなってしまう部分があるって問題、どうしたらいいんですかね

怪獣映画は昔からそうですよ。

だからこそ自衛隊描写に関しては一歩引いて観なきゃいけない。

『シン・ウルトラマン』はそれ以前の問題が多すぎて論外です。

個人的に最近特にヤバいと感じるのは、映画とかアニメ、漫画のような娯楽でプロパガンダされること。
例えばゴジラとかウルトラマンのような怪獣映画を筆頭に、様々な映像作品で自衛隊が制作協力しているけど、自衛隊が協力すると、自衛隊にとって都合のいい内容以外流さないよう検閲みたいなことが行われる。
結果、自衛隊を持ち上げるような内容の作品が多くなり、視聴者もそういう作品に触れ続けることで、知らず知らずのうちに自衛隊に対し肯定的な意識を持つようになるからね。

飲みすぎたがしかし『ビー・ジーズ』の前売りを貰ったからせっかくなので早起きして観に行こ。がんばろ。おやすみ。

本屋さんに行ったら、ひろゆきの本のすぐそばに「なぜ私たちはあの人の「論破」にだまされるのか」と帯に書かれた『ストーリーが世界を滅ぼす』(原題は“The Story Paradox”)を置いているのを見つけてしまい、思わずわるい笑顔が出た

この国は原発事故であんなことあったのに、いまだに「事実は国が決める」なのですよ。そこがもうとことん終わってんな、って話で。

明日でホテル療養1週間が経過し、無事退出になるわけだが、妻から「うつされたら死ぬ。PCRで陰性出るまで家に帰ってくるな」と言われている。どうしたらいいですかとホテルの看護師さんに問い合わせたところ「7日で退所と厚労省が決めている」「厚労省が」「厚労省でそう決まってる」と繰り返すばかりで、なんつうか、その。この国と、この国の人たち、みな事実自体を「国に決めてもらう」癖が強すぎやしない? 「ああ、それは国のルールっすよね。7日経ってれば感染のリスクとか確率ってどんなもんなんすか」と聞くけれど「国は7日で隔離はストップだと決めてます」と質問とは全然違う答え出すボットになってて。「でも、そんなの国が決めたからそうですって戦時中と同じじゃないっすか」と言ったら「そうですね」。

もうダメだこの国。

bucchinews.com/society/7040.ht

ほんこれ…なんだけど、こういうことすらTwitterじゃもう怖くて言及できないよなぁ。袋叩きどころか下手するとリアル嫌がらせすらされかねん。
山本先生すげーな(大御所だからというのもあるかもだけど)

後半もめっちゃ面白い。
重信房子のくだりとか。
bucchinews.com/society/7041.ht

「「伝えた」と「伝わった」は別のこと」というのは知っていたっつーか子どもに「それやるな」と100回言っても同じことをやりやがる時点で常に課題であり続けているのだけれど、今年のはじめに某団体から届いたメールにさらっと「当団体は50年を迎えました。◯◯という市民運動50年からつくづく学んだことは「伝えた」=「伝わった」ではないということです」と書いてあって、なんかもう、真顔になっちゃったんですよね。ああ、これはもう本腰を入れて「伝えること」について学ばないとまずいんじゃねーのって

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