坂本龍一、かなりやつれてたし、何より話している内容が残りの生の時間で触れられる世界の貴重さを語っているようだった。

Ryuichi Sakamoto - tong poo - YouTube youtube.com/watch?v=PtHj7AnIiO

@essiewrenilrebr
昨夜TVで見て、ちょっと動揺してしまいました。でも本人には何か覚悟のようなものがあって、あの東風をあんなふうに弾くことに痛みを感じるリスナーの感傷など、置いて行ってしまうんだな、彼の戦いは、と。そうか東風はこんなにも美しい曲だったのか、と、ライブでぴょんぴょん跳びはねていた小学生もまた、中年になって知ったのです。。

@mikanshibano
サッカー場で飛び跳ねる前は、YMOのライブで飛び跳ねておられたんですね。高橋幸宏の痛々しさとはまた違う、誰にでも訪れる人生の終幕という雰囲気があったような気がしました。テクノカットの3人組が出てきた頃とか、お化粧して忌野清志郎と歌ってた頃には想像がつかなかったけど、こういうところにたどり着いたんだなという枯れた姿でした。

@essiewrenilrebr
枯れてましたねー。ファンのノスタルジーなんて意味のない「現在」を彼が生きていること、さてお前はどうなんだい?と突きつけられた気分です。自分の老いとどう向き合うかって、なかなか考えるの微妙に難しい(けど考えなければ…という)お年頃なので。。

フォロー

@mikanshibano
長く活動している人が昔の曲をやり続けていたり、それもできなくなって引退したりというのではなく、老境には老境の音楽があるという姿を見せるというところで、同じように年齢を重ねたはずの昔からのファンの人には、距離感の再確認が求められている感じになるのかも知れません。病気をして体力が落ちたらいやでも変わらざるを得ないのかも知れませんが、ずっと同じままではいられないとなると、穏やかな悪くない枯れ方が見つかるというのは、それなりに幸せなことなのかなと思います。私はYMOが出てきたとき中学生で、小学生で飛び跳ねておられたとするともっとお若いので、そういう人に枯れ方はまだまだ早くてよい月日の重ね方ぐらいなのかなと思いますが。

@essiewrenilrebr
穏やかな年の重ね方、考えてしまいます。近年親を立て続けに看取ったこともあり、思うように年を取れるわけではないよなあ、と思っているところで。。

あ、YMO出てきた時は小学生でしたが、ウインターライブに行った時には確か中学生になっていたので、ぴょんぴょんしてたのは中学生のがきんちょでした(笑)。サウンドストリート毎週聴いてましたー。ですので、おそらくほぼ同世代かもしれません。

@mikanshibano
小学校や中学校辺りの変化のかたちがある程度予定されている局面と違って、人生のあとの方になってくると、思わぬ状況の変化が起きたり、その際に状況の変化の速度が人間の可能的な変化の速度を上回っていたりするので、それが「思うように歳をとれない」一因なのかなあと思います。あと、経験を積んでパターンを学習して生きようとする心の継続性が案外強固というのもあるかも知れません。(個人的な勝手な推測です。)若いときはあんまり考えてなかった十年、二十年単位の時間的な距離感とか尺度とかを相手にしないといけなくなってきて、人生を終えた家族がいたりするとると、前に思っていたよりもそんなにも短くて早いものなんだなという感覚が生じたりもするでしょうか。
だんだん歳をとると、YMOのデビューを知ってる最後の世代みたいになっていくのかも知れませんね。多感な中学生のときに毎週ラジオを聴いててねえと若い子に昔語りをしたりして・・。

ログインして会話に参加
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。