ネット空間で女性が被差別の体験を語るツイッターフェミニズム(蔑称化したスラングからは一旦離れてほしいので略さず言う)は女性差別を可視化し女性をエンパワーしたのは事実なのだが、同時に体験に立脚していることが弱みともなる。
体験は客観的である必要が無いために学問としての整合性は二の次となり、人権を謳いながら(他者の)人権を蹂躙するということも少なくない。他の人権を踏めばいずれ自分たちや自分を含まない女性をも踏むことになるのに。
これは体験を語ることが無価値であるとか、女性の語る体験は主観にすぎず非論理的だとかいう話ではない(現にそれらは世界を動かしてる)。気をつけないとわれわれは人を踏みますという普遍のこと