『動物と人間の世界認識 :イリュージョンなしに世界は見えない』
日髙敏隆/筑摩書房 2003年
第8章まで読んだ。
導入としてユクスキュルの環世界の話があるので、先にそちらを知っておくほうが理解が早いのかもしれないが、導入だけでもなんとなかわかるように書かれている。
([環世界]は聞いたことがあるだけで読んだことはない)
生き物は全て生きるのに必要とする情報が異なるし、それらの認知の仕方も違う。
そのあたりは、生き物を日々見つめている人ならば専門的な知識を持たずとも、なんとなく頷けるところだと思う。
それぞれの種は遺伝的に受け継がれた認知の仕方で構成した枠(世界)の中で生きている…という考え方の話。(←だいぶざっくりまとめている)
著者の主な研究対象がチョウなので、チョウでの例えが特に具体的だったけれど、身近な昆虫でもあるので、例として出される風景や場面を想像しやすく、理解もしやすかった。
目次によれば残りは主に「人間」の話のようなので、これも楽しみ。
また休日に続きをじっくり読みたい。
(2/2)
確かに、興味関心を持つ範囲が広がれば広がっただけ、世界の見え方が変わる感覚は常にある。
同じものを見たり聞いたりしても、「これは◯◯だ」と感じて楽しめる幅が広がると、自分が「ただそこにいるだけ」ではなくなる
人間に生まれてきたことによって、時に、知りたくもないことも知ってしまうこともあるし、それによってストレスを感じたり、或いは生きづらさそのものを抱えたりすることもあるが、ただ、人間であることによって「知る」楽しみが常に尽きないということも感じる
できれば、人として生きることを楽しんでいきたいものである
『動物と人間の世界認識 :イリュージョンなしに世界は見えない』
日髙敏隆/筑摩書房 2003年
(1/2)
第9章以降を読了
著者は序章でヒトを含む動物(神経系を持つ生き物)が各々の知覚によって世界を構築、認識することについて、イリュージョンという言葉を用いている。
現在の人間のイリュージョンは、ヒトが自身の肉体で知覚できないもの(例えば赤外線や紫外線、電磁波や放射線等)も技術によって[ある]ことを認識し、その概念がある中から生まれた
しかしそれはあくまでも現在のイリュージョンでしかなく、時代や文化背景によって、人間のイリュージョンは変化してきている
知覚のみによるイリュージョンも、人のように概念からつくられたイリュージョンもあるが、いずれにせよ、神経系をもつ生き物にとっては、イリュージョンなしに世界の認識は起こり得ない…という話
終章での「われわれは何をしているのか」への著者自らが出した「何かを探って考えて新しいイリュージョンを得ることを楽しんでいるのだ」という答えは、とても面白かったし、私にとってはしっくりきた (2/2へ続く)
#マストドン読書会