日本のオタクだけに限ったことじゃないかもしれないが特に日本のオタクやってると、下手に漫画とかアニメとかの市場がデカいから海外作品に目を向けなくても満足できてしまう面があり、ただジェンダー面ではかなり厳しい、かつ批判を含めた批評を行うという文化がほとんどなく、どうしても「嫌でも我慢して鑑賞する」という状態になっていたのが非常に苦しかった。
中国の『羅小黒戦記』を見たとき、まず少女のキャラがいても当たり前のように性的なオブジェクトとしてみなされないというのがすっごいストレスフリーで、そのレベルで救われた(ただし元のシリーズにホモフォビックな描写はある)。
海外アニメ映画も最近は何十本もじゃないけど毎年コンスタントに良作を見ることができて、『アークナイツ』もかなりストレスフリーに楽しめて、「ここで我慢し続けなきゃいけないわけじゃない」と近年分かったのは自分的に大きい
中国共産党から抑圧を受けている当事者の人で、『羅小黒戦記』を見ると複雑な気持ちになるという人はみかけたよ。
その人のことばは絶対受け止めなきゃいけないと思う。
一方、『ゴールデンカムイ』のアイコンとかでアイヌの人たちへのヘイトを扇動してる人たち、金カムの展示会への民族的マイノリティの人からの批判を、誹謗中傷によって黙らせようとする人たちのことを、公権力から検閲を受けることなくわたしたちは語れるのに、なんで語らずに済ませてるんだろうって思っちゃう。
「両方語ればいい」それはそう。ただそうやって済ませたとして、後者が実現することはあるのか
中国の作品を評価すると「中国共産党を支持してる」かのように思える人って、日本の作品を評価したら日本政府への支持の表明だと考えてるってことじゃん。
ありえんくない?って思うけど、たぶん「日本の(日本語/日本国籍/日本ルーツの人による)作品だから好き」って基準で選んでる人も世の中にはめちゃくちゃいるのだ。
わたしもその基準で選んでるって思われたら嫌すぎる。きしょい
https://fedibird.com/@cutmr/111284619559407888 [参照]