どっからどう考えても
・翻訳出版部門にトランスジェンダー憎悪・反LGBTQの枠組みで書籍を宣伝して売ろうとした連中がいる。
・KADOKAWAの企業ガバナンスが終わっていて、そうした翻訳部門の動向を感知できないまま今になってそれに気づき、ほとんど完成している書籍の刊行を慌てて中止させた。
という2点がこの結果なのに、「トランスジェンダーコミュニティが圧力をかけて出版を中止させた!言論の自由が!」っていう馬鹿みたいな情動の渦をKADOKAWAが引き起こしているわけで、ほんとマジで許しがたい。この結果まで責任取れよ。
読んでみてからじゃないと決められないぜ!というかたはぜひ試し読みだけでもしてってください!!
https://magcomi.com/episode/10834108156766453493
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ある記事に対するポリアモリーウィークさんのtwitterでの指摘、重要だと思うのでこちらでも共有します。(当該記事はtweet内で引用されています)
「未だかつてなくポリアモリー関連の記事が読まれてるような、、内緒にしている人がいると一般的なポリアモリーの定義には反します、よー!
相手には自分から離れる自由もあります。それを保障しないと…適切な開示を提供しないと相手がどういう関係性でいたいかを選べない。相手の自由を奪わないでー」
Xは相変わらず陰謀論的な思考回路にはまり込んだ人達が妄想を吐いていて辟易するのだが、他のSNSは逆に平和すぎて何を書いたらいいのかわからなくなるという本末転倒なことが起きている。
【プレゼント使いました:28日 21:47まで全文読めます】
連載「私の性別を生きる」第3回。YouTuberの木本奏太さんのインタビュー。聞き手は杉原里美さんです。ぜひ読まれて欲しい記事。
https://digital.asahi.com/articles/ASRBV6F67RBVUTFL008.html?ptoken=01HDV57BSZQEVC7XMAKH7SHTF9
特例法の不妊化要件違憲判決について、立石弁護士の記事。全文無料で読めます。いろいろなことがクリアになると思いますので、おすすめします。そもそも特例法とは何なのか、戸籍性別を訂正することが、トランスジェンダーの人の周囲にいる人たちにどんな肯定的影響を与えうるかについてまで、書かれています。
https://www.web-nippyo.jp/34166/
関連して、「ある面ではマイノリティだけれど他の面ではマジョリティ」といった表現がわたしは好きではない。例えば男性という点では(ジェンダー的に)マジョリティだが、ゲイであるという面では(セクシュアリティ的に)マイノリティである、みたいな。もちろん同性愛者の男/女が同じような状況にあるわけではないから、セクシュアリティをめぐる差別について考えるときに、ジェンダーの差異を考えることは非常に(非常に!)重要なのだけれど、個人が色んなラベルを身に着けていて、そのうちのいくつかは「+(特権)」で、いくつかは「-(剥奪)」で、といった理解は、ある軸における社会的な抑圧や周縁化が、同時につねに他の軸と交差しつつ現象することになるという、交差性の視点を失わせる危険があるうえ、さきほど同じように、あるラベル(軸)において特権を持っている個人が、そのラベル(軸)においてマイノリティである個人に対して優位にある/加害者である/抑圧的であるといった、非常に個人化・属人化された差別の理解をもたらすように機能してしまうように思う。だから、こうしたラベル的な理解や「ある面では、他の面では」式の説明は好きでない。
RTs。この種の質問や相談はわたしも受ける。わたしの場合は、シスジェンダーである以上は、自分も抑圧する側なので…という角度で話しをされることが多い。そのときには必ず(清水さんと同じだけど)差別は構造的な問題であることと、マイノリティとマジョリティがそれぞれ集団として差異化されるメカニズムの問題性を一緒に考えて欲しいと応えるようにしている。シスジェンダーである個人がトランスジェンダーである個人に対して抑圧的だったり差別的だったりすることはもちろんあるけれど、シスの人たちがトランスへの差別について考えるときに「加害者」や「抑圧者」としての自分、から出発することには、分析としての意味も、反差別の実践としての意義もないとわたしは思っている。とはいえ、前も書いたことだけれど、社会に埋め込まれた差別的な仕組みや、排除を伴う差異化のメカニズムを、マイノリティとして生きている人は「身体で知っている」ことがあるから、そうした意味では当事者(あまりこの言葉は好きではない)の言葉や感覚には、知的に優れた点がしばしばあるというのも事実ではあり、依然として当事者の声を聞くことは重要性を持ち続けるだろう。
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ある人が何らかの点でマジョリティ属性であること自体を批判したり糾弾したりするのはフェミニズムの政治が目指すものでもクィアの政治が目指すものでもないと私は思うのだけれども、とりわけSNSなどで小さく切り取られた鋭利なメッセージだけが一人歩きしがちな状況が続いてきた中で、特に若くてまだ感受性も鋭い人たちを中心に、そういう風な「マジョリティ属性それ自体に罪悪感を覚える」形でメッセージが伝わってしまっている側面は確実にある気がしている。
私はずっとTwitterを使ってきたので意図的ではなかったにせよ結果としてそのようなメッセージ伝達の一端を担った責任はあると思っているし、さらに言えばそれに意識的になったのもこの数年だし、気がついても介入の仕方がわからなかったし、というのもある。
ただ、「マイノリティ認定をしたらその途端にマイノリティ側が道徳的・倫理的に絶対優位に立つ」と思い込んでいるかのような発言を、差別側、被差別側、権利擁護側のいずれにおいても目にすることは多くなっているし、なんかちょっと一度そのあたりを整理して共有していく方法はないんだろうか、とは思う。
ジェンダーやセクシュアリティについて教えていると学生から人生相談を受けるというのは教員あるあるらしいけれど、学生もきちんと相手を見ているので、私は指導性や一緒に仕事している学生以外からそういう相談をされた経験はほとんどない。
で、先日珍しく相談をされて何かと思ったら、「ジェンダーを勉強していて、興味もあるけれど、自分がマジョリティだから責任があるという罪悪感が動機の一つとして大きい、勉強しながらとても辛い」みたいな話で。
「マジョリティには責任がある」というのはそれ自体は念頭におくべきだけれども、それは罪悪感を抱くべきものではないと私は思っている。これは構造の話であって個人的な罪の話ではないから。
それに、罪悪感が出発点になると、押しつぶされるか、どこかでマイノリティへの恨みが溜まってしまうか、自分の罪悪感の解消が無意識的に先立ってしまって厄介なことになるか、のどれかに陥りやすい気もする。
性の政治との関わり方としては、やっぱり「自分」の問題関心から出発するので良いと思う。
このあたり、以前から少し気になっていたのだけれど、真面目な若い人ほど袋小路に入り込みがちで、難しい。
「ブックライナー」という、本を人質に取った非道なビジネス(売上げの1割弱を搾取)を取次が展開しており、対抗措置が現状ない
23~15%の利益では書店はとても立ち行かない(他業種の多くが4割ほどの利益)
「取次か、版元に、お願いして配本をつけていただくこともあるが、これは、発売日の2週間以上ぐらい前でないと、手続き上、間に合わない」→客注文の無力化
「大型書店に当たり前のように見計らいされる本でも小さな書店には入らない」→町の書店の客離れを招く
Conservative book ban push fuels library exodus from national association that stands up for books (AP)
https://apnews.com/article/library-book-ban-association-withdraw-7f5743a9e464433a745697f9111d7f6b
人種差別やLGBTQ+をテーマとした本を主なターゲットとして、性的な描写を含むという理由で、学校図書館や公共図書館の児童書・ヤングアダルト棚から排除する法律が成立した州の図書館が、アメリカ図書館協会(ALA)から脱退しつつある、という話の模様。
ALAは、当然こうした禁書には反対の姿勢を一貫して取っているし、
米国図書館協会(ALA)、LGBTQIA+の図書館職員への差別を非難する声明を発表(カレントアウェアネス・ポータル)
https://current.ndl.go.jp/car/192070
といった姿勢でもあり。
それに対して、州法に沿った運営を進めるために、そうした州法が成立した州では、独立した図書館専門家による運営から、州政府主導の運営形態に移行しつつある様子。
「「いろんな生き方をしている人がいることを理解しましょう」というのは全く無意味だ。
例えば「同性を好きになることを理解しましょう」ということを理解できない人はできないし、体験できない人はできない。
ただ、そういう生き方に対し、侮蔑的なことを言ってはいけないとか、差別的な処遇をしてはいけない。こうした基本理念に立ち返って理解を進めていかないと、今までと同じことの繰り返しになる。
日本の議論を見ていると「差別が起きることがよくないので、差別を無くそう」という方向に行ってしまう。その考え方は差別を理解していない。差別は起きるし、意図しないところで差別的な状況を作り出してしまうことはあり得る。それを想定した制度を作る必要がある。」