>人々の主題の用い方は、バッハの音楽がそうであったような、作品のあらゆる面に滲み出るものではなく、ある特別なもの、著しく波乱に富んだもの、瞬間に属するようなものです。

ここが個人的には一番面白いと感じた点。
主題労作的な観点からの音楽の展開は単一主題を要求していたのかなと思った。
主題労作的な展開に拘ろうとすると、第2主題や第3主題は第1主題の首位性に席を譲り静止的要素を提供するに留まってしまったり特定の役割を担う部分的主題に留まってしまうのかなと思う。
それらには単一主題が備えていたような楽曲全体に及ぶ全的支配力(?)のようなものを欠いていたのかもしれない。

一方、複数主題制は対比や群像劇的な展開を要求していたのかもしれないと思うのだが、それらのような展開は確かに"ある特別なもの、著しく波乱に富んだもの、瞬間に属するようなもの"に適合していたのかもしれない。

刹那的/機会的存在として主題を利用するというのが、ここではバッハのやり方と対比されているのかもと思った。

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以下はグールドの話からは少し逸れると思うのだが、少し思うことがあるので書いておく。

絶対王政的な何か――つまり中央集権的な何かと言っても良いのかも――の確立と、音楽におけるコンチェルトの出現は同期しているというような説を目にしたことがある。
確かにそれっぽくて、王様としての単一主題に花を添える取り巻き達や下々の臣民という図式が成り立ちそうに思える。

だがそれはいつ崩壊したのかを語る説は意外と目にしたことがなかった(と思う)。
後期ロマン派と言われるような19世紀後半では(実は自分はあまりよく知らないのだが💦)複数主題を備えた交響曲があると聞くが、それは中央集権的な何かの崩壊というか分権化のような何かと関係しているかのように論じられたことはあるのだろうか?

なお、以下は更に脱線します。

もしかして規模の拡大が複数主題を要求するようになったのかなとも思いました。つまり単一主題では間が持たないのではという観点もあったのかなと。

更に言えば多分交響曲は大抵大規模であるのかもしれず、ソナタはあまり大規模ではないような気もします。
そこら辺のサイズ感が主題数や展開方法に影響しているのかもと思わなくもないので、比較をしてみると面白いかもしれない。

そもそも何故規模を拡大しようと思ったのかも興味があります。 [参照]

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