これはいいFAQ
トランスジェンダーに対するよくある質問(FAQ)
https://trans101.jp/faq/
BT、普通に考えて、誰かが作ったものを本人の承諾得ずに何かするのはあり得ないのに、大の大人がそんなことをした事実と、今もなお説明と謝罪、修復に向けた動きが見えないばかりか、隠し続けていることに衝撃を受けている。とてもショック。
私はアートに詳しくないけれど、作品説明を読んでモチーフや素材、形状、色の全てに作者の意図とメッセージが込められていることはわかるし、その作品が作られるまでの思考や準備、かけられた時間に思いを致すと、こんな仕打ち、なんでできるんだろう。理解できない。作者や当初の企画側の意図しないかたちで作品に出会ってしまったことも残念に思う。
アーティストの望むかたちで決着がつきますように。傷ついた人たちが再び立ち上がれますように。
ここで唐突な思い出話
凄い個人的なことなんだけど、たまに思い出すことがあって、若い頃、家族でやってる小さなお店でバイトしていた時に、お孫さんが小学校が終わると真っ直ぐ店に帰って来て、そこから遊びに行ったり、店で宿題したりして終業後みんなで一緒に帰るという感じで、そのお孫さんと仲良くなってみんな(祖父母、親や叔父叔母)が忙しい時に一緒に遊びに行ったり、授業参観に行ったりと(子どもがいないからおもろい体験だった)、家族ぐるみのお付き合いをさせてもらっていた。
で、ある日、叔母の一人にこの日店休むんだけど一日孫と遊びに行ってくれないか、と言われて、「?」と思ったら、曾祖父さんが亡くなって葬儀があるとのこと。「え?お葬式に連れて行かないんですか??」と思わず聞いたら、「あんな小さい子供に死体を見せられないでしょ!」と言われて、「えーっ!」ってなって(言った)、ということがあった。
結局、家族間でその後話し合って祖父母と叔父叔母が出席して、その親子自体は行かないというモヤる解決をしたんだけど、「葬儀=死体を見る」という発想が今も残っていて、それは極端な例だけど日本の「不浄を隠す文化」の成れの果てでもあるのかなあと、折に触れて思い出す。
満州から引き揚げたときのカオスの話は随分と祖母、母から聞かされた。母のふとももに大きな傷があるので、これはなんだ、と聞くと引き揚げの行程で大病にかかって九死に一生を得たその時の跡だ、との説明だった。病名は忘れてしまったが、中国から帰ってくるのに大変な苦労をしたという印象、その後日本で親戚の家にしばらく居候していた話などとともに、子供心に強く残った。
祖母はあまり苦労話としては話したがらず、もっぱら満州で使用人から教わった中国料理や、面白い習慣、数日かかったという満漢全席の様などをおもしろおかしく話したが、先に述べたような背景のない写真や、引き揚げてきたときにすべておいてきて、かばん2つだけだった、といった事実からその苦労を察するばかりであった。昔の人は、ネガティブなこと言わないんだろな。
そんなわけである日、ドイツで難民のことを考えいて、はたと、おお、私も難民の子なのだ、と自覚するにいたった。引揚者、は難民なのである。それをあえて、引揚者、と別の呼び方をしている。私は難民の子なのだ。
BT。私がwebで日記を書き始めた理由には見たこと感じたことをなるべく正確に、簡潔に伝える訓練的な意味合いが強かったんだけど、これにより表現や語彙の選択を「私の言いたいこととズレはないか?」の視点で考えるクセがついた。強い表現の方がインパクトがあっても、そこまで感じていなかったりするんよね。でも文字にして視覚で捉えると、それがトリガーになって更にエスカレートしていくこともあって、その欲求は結構強いから、ブレーキかける効果はあるかな、と。
その一方で、言いたいことを飲み込むことも増えた気がする。ネットに流した瞬間からこちらの気持ちも変わっていくから、特に強いことを感じた場合に「書いたけど流さない」選択をすることがある。
でも、その「飲み込む」が最近良くないかもなと思うようになった。難しいけど自分の意見・気持ちを自分の言葉で発していくことがこれからの私の課題。でもまずは、自分の気持ちや考えを見つめて言葉を探す作業が基本にあって、そのベースを養えたことだけでも日記をつける習慣はよかったなと思っている。
自分の気持ちを言葉にする
自分の気持ちを言葉にするのは大切だと思います。それは気持ちを落ち着ける役に立ちますし、自分を他人から理解してもらうためにも有効です。
「言葉にしてしまうと嘘になる」ケースがないわけではありませんが、それを多用してしまうのは危険です。言葉にしない言い訳になってしまうために、言葉にする練習が不足するからです。
自分の気持ちは絶え間なく揺れ動いており、しっかりした形をとどめないのが普通です。とらえどころがないと言っても良いでしょう。そんなものを言葉にするのは難しくて当然です。けれど、何らかの形で捉えないことには、自分の気持ちに振り回されてしまうことも多くなるでしょう。
自分の気持ちを言葉にするときには、100%を目指さないのが無難です。そもそもそれは不可能だからです。気持ちは頻繁に変化し、揺れ動きます。そして、その気持ちを観察している自分の考えがその気持ちをさらに揺らします。
100%正確に表現できなくてもいいのです。ゼロ次近似でも一次近似でも、近似的に表現しようと試みるのが大事です。
表現しようと試みると、整理しようと考えますし、よく観察するようになりますし、注意深くなります。まずはそれが大切なのです。
表現するときに、自分の表現力に合わせて気持ちを動かさない方が良いでしょうね。乏しい語彙に気持ちの方を合わせるのは良くありません。表現しようと試みるのだけれど、それが不完全であることは充分認めて進めばいいのです。
自分の気持ちを、不完全ながら言葉にする習慣ができていると、そしてその言葉がどうやっても不完全であることを理解していると、他人の表現にも寛容になります。
他人が気持ちをうまく表現できなくても、言葉の選択がうまくできなくて、あるいは、あるとき語ったことと矛盾したことを言い出しても、自分の経験に照らし合わせて「確かにそうなってしまうな」と理解しやすくなります。
言葉にしてしまうとウソになるケースは確かにあります。また言葉にしない方がいいこともたくさんあります。けれど、いつもいつもそれで終わらせてしまうのはもったいないことだと思います。
揺れ動く自分の気持ちを注意深く見たり、「この気持ちはどういうことなのだろう」と考えたり、そしてそれを言葉にしてみたり。そのようなことを考えるのもまた、生きている印の1つと言えないでしょうか。
朝の散歩をしながら、そんなことを考えていました。
娘が図書館ではだしのゲンを読んで「ママ、原爆って何?私、広島に行ってみたい」と言ったのが9歳の時。
翌年、10歳の時に原爆の日を挟んで平和学習をするツアーに申し込んで当選、初めて親と離れて2泊3日で広島に行った。
帰って来てから書き上げたレポートから一部抜粋。
『行く前に広島の写真を見た時も怖かったけれど、実際に沢山の被爆品を見たりして、1発の原爆が広島を何もない所にし、人を殺し、放射能を撒き散らして更に人を殺していった事が分かり、行く前よりももっと怖くなりました。
広島に行く前と、帰ってきてからも『はだしのゲン』を読みました。
帰ってきてから読んだ時、本当の事が書いてあるという事がよく分かりました。
私は被爆者の方々の話をもっと聞きたいと思います。きっとそこには一人一人違った『はだしのゲン』がいると思うからです。』
「はだしのゲン」は被曝の実態に迫りにくい??何を根拠にそんな事が言えるんだろうか?
本当に浅はかだと呆れるやら腹が立つやら…。
戦中の「供出」みたいだ…自民、防衛版「ふるさと納税」案 安保分野へ寄付可能に: 日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA072X60X00C23A2000000/
Mastodonがすっかり気に入って落ち着いてしまった。
2017年~2018年頃よりアクティブなユーザが増えたのが大きいのかな。どんなささいなことでも、ユーザ自身の言葉として発信されたものを受け取れるのがいいなと思っている。
よそさまのサーバがそれぞれ楽しそうに遊んでいる様子が見えるのも楽しい(のでサーバ内輪ネタは遠慮せずにどんどこください)。気になったらアカウント作って遊びに行くし。
メインをソロサーバにしてると特にそうなのかもしれないけど、心がざわつく人間関係とかが目に入ってくることも限りなく少なくていい。他人は他人、わたしはわたし、でいるのがとても楽。
全体的に、不快な情報に割くリソースがめちゃくちゃ少ないから、疲れない。
これまでのSNSから提供されていた細かい情報のおすすめは、積み重なってけっこうな負担になっていたのだな、と思った。
"「愛の反対は憎しみではない、無関心である。信頼の反対は傲慢ではない、無関心である。文化の反対は無知ではない、無関心である。芸術の反対は醜さではない、無関心である。平和の反対は、平和と戦争に対する無関心である。人々の無関心は、常に攻撃者の利益になることを忘れてはいけない。」(エリ・ヴィーゼル)"
▼「人々の無関心は常に攻撃者の利益になることを忘れてはいけない」(エリ・ヴィーゼル) : イノレコモンズのふた。 - https://illcomm.exblog.jp/20830395/
加齢に伴う老化をひしひしと実感している大人
雪かきしなくてもいいところに住みたい