そういう意味では、全編気合の入ったスタントシーンで、役者の動き重視で作る『ジョン・ウィック』シリーズはやや自分には退屈だと感じられる。(スタントは凄いけど、一点突破的な単調さがある)
『ジョン・ウィック:パラベラム』は、まずストーリーの設定が復讐譚ではなく殺し屋版『セブン・チャンス』とでもいえそうな喜劇なので、そこが大きく違う。ナイフ投げまくったり、馬の尻を叩いて蹴り足で追ってを殺すという喜劇的なアイデアも光っている。多分このレベルのアイデアを90分つるべ打ちできていたら傑作になってた。
そういった全編見せ場!みたいな趣向ではない、より散文的で曰く言い難い感情になる『イコライザー』シリーズの方が好みではある。『イコライザー THE FINAL』までいくと初期の雑味やオリジナリティがかなりなくなってしまうのだけど、逆に純粋なジャンル映画としては最も磨かれている。
UFCの試合を見たうえで、よくあるカンフー経由の舞踏的な映画のアクションに対する不満がどこにあるのか考えてみたが、やはり実戦にあるべきしょっぱさ、塩試合っぽさが足りないんだよな。『ロード・ハウス』に感じた不満は少なくともここにある。
本来はリスクの高い攻めは躊躇われるはずで、一定の様子見の時間帯があるはずだと感じる。(それが生じないなら、勝負を急がないといけない理由を用意すべきである)
お互いの距離を調整したり様子見したりするような緩い時間がない。だれ場のないアクションには緩急とサスペンスが無い。
もちろん舞踏的なアクションは、リアリズムに対するカウンターだから大きなお世話なのだが、実写映画の中で実演をどのように演出するかという問題にかかわってくるような気もする(上手い歌手が歌っている場面を流せばいい映画か?_
『ホーンティー』。
幽霊を操作して、絵本のような線画の世界を移動したり、シューティングしたりするゲームなんだけど、プレイアブルな画面とイベントシーンの差があまり無いことの良さがあった。
(カメラがぐーっと引いていく中で、橋の上を移動していると、眼下に巨大な空間が見える場面とか)
台湾の鉄道で刃物振り回した通り魔を止めた人が「ヒンメルならそうした」を引用したニュース、かなり素朴にヒーロー性に関わる逸話としてグッと来てしまう。
逸話、虚構としてのヒーローが現実世界にしみ出していく在り方が、アメコミの一エピソードのようだ。
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