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『対ありでした。』。なんか異様にネット配信のコメント欄がリアルなのも笑えるんだよな。
素数の周期で目覚める素数吸血鬼。
そうですね、決闘ですね。決闘は相互理解なんだよなあ。
「格闘狂時代」では「お前を殺す」と耳元で囁きあう関係が描けたのでよかったです(愛ではないけど)。
『対ありでした。』も「次は殺す!」って言って殺害宣言している相手と相思相愛なんだよな。(実際、相手の思考をトレースすることが勝ちにつながるから、勝ちたい奴ほど相手を理解しようとする)
『喧嘩稼業』で反復される「お前を殺す」宣言とか、『ゴールデンカムイ』の「元気になって戻ってこいよ、殺してやるから」とか、殺意の宣言が相互理解につながっているような関係が好きなんだなと自覚出来てきた。
五条悟vs宿儺はミステリの解決編のような異能バトルで好きだけど、殺し合いが相互理解に至るという側面はあまり最後まで納得できなかった。
『対ありでした。』1巻の、「互いの待ち切れなさを反映したかのように 開幕3連続の打撃相打ち!!!」も超熱い。待ち切れなさの表現としてすごくいい。
勢いで『対ありでした。』6巻を再読した。『呪術廻戦』の五条悟 vs宿儺に勝るとも劣らない名勝負だ。
adoがKICK BACKをカラオケで歌った切り抜きを流しながら同じく歌っていたら、久々にカラオケ行きたくなってきた
もちろん、実際には行動が先にあって、「ヒンメルならそうした」という言葉は後付けの説明のようなものかもしれないけど。
台湾の鉄道で刃物振り回した通り魔を止めた人が「ヒンメルならそうした」を引用したニュース、かなり素朴にヒーロー性に関わる逸話としてグッと来てしまう。
逸話、虚構としてのヒーローが現実世界にしみ出していく在り方が、アメコミの一エピソードのようだ。
保育園で育てられている作物、板に「とうもろこし」とか「とまと」とか子供達の字で書かれているけど、中には「ぽっぷこーん」があって抜群にかわいい。
小学一年生を保育園児と連続性のある存在として実感できてきた。(ちっちゃいなーと思う)
『対ありでした。』7巻。「勝ったやつが偉い」ので、あらゆる対人関係のしこりを格ゲーによって解消できるメソッドが強い。ストーリー的に強い。
『対ありでした。』治安が死ぬほど悪いけど、そのおかげで勝負事に対する執着心とか、「結局、勝った奴が偉い」とかが上手くスポ根にかみ合っている感がある。(爽やかさと、爽やかさだけでは掬えないものが掬えている)
『呪術廻戦』の五条vs宿儺は本来こういうドラマだったのかもしれないけど、人が死ぬからこうなれなかったのかもしれない。
そういえば七巻出ましたね。
『対ありでした。』六巻が最高に面白いから六巻まで読んで欲しい。
嫌な仕事を後回しにした自覚と共に休みに入る。
「猿でもわかるオブジェクト指向」と、「うさぎでもわかるヒープアルゴリズム」を交互に読んでいる
1日でできる意思決定の数に限界があり、進捗するタスクの大きさと数が何となく安定してきた
少しずつ業務でのカンバン運用が上手くいきつつある。
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