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長編はまともに書けたことがない(2つまともに書いたが、ひとつは一次突破できないレベルで、ひとつは後半が散逸した)

自作の中で気に入っているのは「21センチュリー・ニュー・プロジェクト・フィラデルフィア」と「幽霊写像」の2つ。

映画も脚本じゃなくて現場で撮ってるうちに出てきた発想で作られている者が好きなので。

ただ書いたものに関心を失うので、リライトが進まず、商業作家を目指そうという気持ちは必然的に薄くなる。

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小説は背骨で書くものなので、自分は圧倒的に「書く過程で形になるものを楽しむ」タイプですね。プロットはチェックポイント程度で、あえて難しいところを用意して、実作の中で解く(あるいは解くことに失敗する)ことに快楽がある。

ミステリっていっても『神様ゲーム』とか殊能将之の諸作は大好きです。

自分が整合性よりも、即興性やパッション、運動感、筆のノリ、気持ちよさを優先するところと、ミステリ嫌いなところは裏表になっている。

自作トレカ、自作モンスター図鑑、自作アナログゲーム、すべて通ってきた

24/365のオンコール担当は『入門 監視』でアンチパターンとして取り上げられてた気がする。

24/365のオンコール担当に気がつけばなっている。(いや、正確にはもう少し日数は減る。

『魔女の棲む町』を読んでいたら、「確かにこのあたりの自殺件数は以上に多い。(中略)まるで日本みたいだ。」という記述があり(223p)、ジャパニーズの評判に眉をひそめた。

プロマネはコミュニケーション過剰で怒られる方が不足で怒られるよりよっぽど良い、とどこの本にも書かれているのですが、しばしば臆病になって、というかMPが尽きてコミュニケーション不足に陥ってしまう日々です

幼少期にカトリック教育を受けて、その抑圧体験からカトリックを憎悪したり一生囚われていたりする人(映画監督とかにもしばしばいる)

当事者に話を聞いていると、自分の、親に対する反発由来の左派・左翼嫌い、ひいては表現規制派嫌いは、かなりこのカトリック嫌いに近いように思えてきた。

コミュニケーションが自分の仕事なんだけど、めちゃくちゃコストがかかる人との仕事をやるともう家庭がめちゃくちゃになってしまうので、自然とそういう人との仕事を減らしてしまう。

でもメール返さない、人の話聞かない、一から十まで口頭で説明しないといけない人の対応に段々コストを割けなくなってきた。

『エドウィン・マルハウス』。序文、年譜からもう完全に笑かしにきてるな。

ポール・シュレイダー『カード・カウンター』を見た。

オスカー・アイザック主演。過去に拷問官だった男が、服役のち、現在はカジノでほどほどに稼ぐことで生活の糧を得ていたが、、、会った若者から復讐を持ち掛けられてという話。カチコミに行こうとする若人をいさめる主人公像が、ポール・シュレイダーとしては新鮮。

オスカー・アイザックがカードやっている様子を、クローネンバーグみたいに理知的でぎちぎちに統御された画面で撮ってるだけで結構ずっと見れる。
(オスカー・アイザックの人物造形がそういう、欲望や感情のたかぶりを抑え込んだ禁欲的な人物なんだけど)

『魂のゆくえ』同様、堪えて堪えて爆発するという構成。

近所の公園にある「安全高速滑り台」というネーミングから想起される「絶対安全剃刀」

『エドウィン・マルハウス』と『ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ』を買いました。

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