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ふう。。。ひとしきり泣いて諦めがついた。

広島カープのみなさん優勝おめでとうございます。

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くそーーー!くやしい!くやしい!くやしい!くやしい!くやしい!くやしい!

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タイガース負け。予想通りの展開で有利に進んだけど、岩崎まさかの2被弾。最後も攻撃粘ったが。。。

カープは負けない。あいつらホントしぶとい。心折れない。メンタル強い。

そしてマジックが消滅。さぁ、ここから大逆転V逸、あるで。

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阪神vs.DeNA、広島vs.巨人に、バスケW杯も始まってしまった。忙しいなー

相手方先発は今永。ストレートは良くコースに決まってる印象。簡単に点は取れなさそう。タイガース対好投手はだいたい、球数放らせて球威が落ちてきたところに襲いかかる、という感じで進むので、きょうも基本は四球狙い、慌てずじっくり構えて後半勝負かしら。

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久々の甲子園。ビールも用意して観戦。テレビの前で。

デレステの『セーラーミズギ』のために、スマホゲームに久しぶりに課金してしまうかもしれない。

たとえば「仙台育英がアウトになるたびに歓声や拍手があがっていた(から許せない)」みたいな批判?を旧Twitter等でいくつか見かけたが、こんなのはハッキリ言って批判のための批判という感じがしなくもない。相手チームがアウトになったから歓声が上がるというのは、「自分らのチームがアウトを取ったから、拍手喝采を送って喜んでいる」という話のウラオモテでしかなく、ある意味自然で当たり前過ぎる感情ですよね。これを批判するというのは、ぼくには意味がわからない。

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ぼくはあの「六大学野球の早慶戦のノリ」は好きなんだけど、あの早慶戦のノリが、神宮球場ではなく甲子園球場、大学野球ではなく高校野球という場に現れたことに困惑の感情を抱いた人は相当多かったんじゃないかなと思う。それがネット等で増幅して、「なんだあれは!けしからん!」という話になったんじゃないかと推測する。だとするならば、それはそれでわからなくもない。

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きのうの甲子園決勝の大応援、高校野球というよりも、早慶戦に代表されるような原始の学生スポーツのノリがあの場を支配していたような気がする。あの慶応の応援についてぼく自身思うところはポジティブ/ネガティブ両面あるけど、勝敗に影響を与えてしまうほどの動員力はフェアじゃない、などと言ってしまったら、そんなら無観客でやるしかないんじゃないの?という話になってしまう。あれに眉をひそめたひとはそれなりにいたんだろうとは思うが、そこはあんまり意味がある批判ではないと思う。

4回オモテの盗塁失敗もそうだったけど、積極的に仕掛ける姿勢が上滑りというか空回りというか、簡単にランナーを死なせてしまって点に結び付かない、チャンスが広がらない。もったいないなーと。

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慶応高校、ランナーのミスが甲子園でポロポロ出ていて、きょうの決勝なんかはそれが最後に響きそう

慶応の応援で思い出しましたけど、そのライバルとなるW大の応援は、神宮球場から池袋まで聞こえたというエピソードがありましたですね。これがかの有名な『大鐘音のエール』ってやつで(出典:民明書房)

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「慶応高校の応援の音がやかましい」というのはまだしも、「慶応高校の応援は相手にプレッシャーを掛ける、卑怯だアンフェアだ」とかいうのをどこぞのコメントで見かけて、さすがに慶応憎しを拗らせすぎなのではないかと思った。

ぼくはあの慶応高校の応援好きですよ、六大学野球の早慶戦を観戦して両校の応援の大音量に鳥肌が立つ思いをして、神宮のあれが甲子園で再現されているかと思うとぞくぞくする。あの強い仙台育英に立ち向かうのに、どれほどの「味方」となるのか、楽しみだ。

TwitterをMastodonの各サーバーレベルの規模に自分で切り分けていくだけでも、Twitterの毒気はだいぶ抜けていくと思う。どうしてもTwitterを使い続けたいというかたはご参考に。

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ぼく個人はTwitterと距離を置いている(と思っている)けれど、全く使ってないわけではないです。投稿はしないだけで、眺めることはしている。

その際「フラットな考え方をしていて参考になるとぼくが感じたアカウント」「すけべなイラストを投稿するアカウント」を、リストに入れて眺めている。フォローしているアカウントの投稿がことごとく流れてくるタイムラインは、ほとんど見ていない。

Twitterはあまりに広すぎる。真面目にモノを考えて発信しようとする人も当然多く居るが、どうでもいい個人の日記も大半で、それだけならまだしも、差別・ヘイト・犯罪教唆・意識操作・偽情報・誹謗中傷・悪意の塊その他もろもろもカジュアルに流れてくる。個人のキャパシティでは処理しきれない。

「リスト化して読む」というのは「広すぎるTwitter世界を自分サイズに編集する」ということで、情報をなんでもかんでも摂取するのではなく、自分の咀嚼できる大きさに細かくカットして消化するということ。

Twitterの害は分かるがどうしてもTwitterを使い続けたい、という人は試してみてほしいかな。とはいえ、これって実のところはMastodon内で行われていることと似ているのだけども。

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「Twitterから離れるとニュースを迅速に知ることができなくなる」ということを心配していたひとがいたが、実際のところどうだろうか。

「いますぐ迅速に知らなければならない情報」って、実は皆無に近いと思う。だいたいのことは、速報で得る必要がなく、NHKや新聞でじゅうぶん足りる。

災害ニュースの場合はどうか。これについては結局、NHKが一番正確で有用と言わざるを得ない。Twitterに流れてくる情報のいい加減さは、緊急を要するニュースに関して害悪でしかない。

Twitterは速報性に優れている、というのは、実は錯覚なんだろうと思う。本当に緊急を要する速報なんてものは、実際のところ相当少ない。だいたいのことは1日くらい後で知ってもなんら問題はなく、むしろ時間を空けることで情報が整理されて摂取しやすくなっていることの方が多かったりする。

こういうことに気づいたとき、ぼくのなかでのTwitterは急速に熱を失い冷めていった。

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Mastodonに移住してから、かつてTwitterと呼ばれていた存在との付き合い方が個人的にだいぶ変化してきた。ツイートはほとんどしなくなって、「読む専」「すけべイラストいいね専」に移行した。

と同時に、SNSやネットとのつきあい方についても、だいぶ意識が変わってきた。

これまでは、Twitterを見て、感情が動かされ、その動いた感情を文字にしてツイートし、何らかの反応をもらえればさらにその感情が増幅され……というサイクルの中に居た。それが、ツイートをしなくなったために反応をもらうこともなくなり、感情を刺激されることがなくなった。

Mastodonではいくつかのサーバーに登録して、用途や趣味嗜好に応じて各サーバーに投稿をボチボチしているが、どのサーバーもTwitterと比べると規模がかなり小さいので、たとえ他ユーザーから何かしらの反応をいただいたとしても、それは限定的で、頭のヘンなヒトが湧いてくる率もかなり小さい。

心がだんだんと穏やかになってくるのを日に日に感じている。

連覇か、107年ぶりか。いずれにせよあさっての決勝楽しみ

けいおーう けいおーう りくのおうじゃー けいおーう

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