忍たま映画第一弾見た〜(利吉推し利土井好きの人の感想)
山田利吉がかっこいい!!!!!!!!!
山田利吉がかっこよくて優しいデキる先輩忍者として描写されててありがとう!!!!!!!!!!ありがとう!!!!!!!!!!!!!
「利土井の共闘がある」と聞いて見始めたけど、山田利吉単体としても潜入から始まり結構ちゃんと戦闘シーンもあるし、ずっといい立ち回りしてて、私がこういうの見たいなーと思ってた山田利吉がここにあったわ…………
門の前でしんべヱの縄を解いてくれる利吉くん優しくてうれしかった そして自然にしんがりを務めてくれる これは忍術学園のみんなに慕われるかっこいい先輩だわ………
利土井の共闘あるとは聞いてたけど結構ガッツリじゃん!!!??結構長い間二人行動してる………
推しカプの共闘なんてみんな大好きなやつじゃんね!!!!!???????(主語デカ)(諸説あり)
忍者としての戦闘もしっかり見られたし、利吉くんが怪我したとき肩担いで助けたり、なんか倒れ込むシーンもあったし、えっこんなにいいんですか…?ありがとう… になった
利吉くんの終盤のきり丸の使い方もきり丸と普段から接してるからこその信頼(??)で良かったし、最後に解説入れてくれるのも含め、終始いいポジで利吉くんが好きな人間に美味しすぎる映画だった
映画の利吉くんと利土井
これは現時点の思考なので追々変わるかもしれないんですけど………あのときの利吉くんのこと考えてると、彼はもしかしたら仮に天鬼が戻らなくても手を離せないかもしれない(1はの皆は「天鬼」と認識してなかったけど、利吉くんは頭では理解したうえでそれでも)、どうしても諦められないかもしれない なんか…土井先生のことになると利吉くんは冷静で合理的な判断を投げ売ってしまうような、危うさすらあるように思っちゃって 勝手に オタクの妄想による願望込みですけど
今でこそ大人な関係に見えて、山田利吉くん、誰よりも土井半助という存在を刷り込まれてる人かもしれない
(でも私は元来推しカプなら絶対ハピエンになるだろ!!!!!って信じる夜明け〜光のオタクなので、数日後には「これ解釈違いかも」ってなってる可能性全然ある)
映画の利吉くんと利土井
これは私の個人的な好みによる願望含めなのですが、利吉くんは基本的に「相手の大切にしてるものも大切にしたい」子だといいなと思っていて、土井先生の先生という職業や生徒たちを大事にしてることとかその思いとかも理解して尊重してくれるのが基本的な姿勢…だといいなって思ってるんですが
それを前提として
映画のあのシーンで、天鬼という存在をこのまま放っておいてはいけないということは分かっていた
あの瞬間のらんきりしんのことだけじゃなくて、もし天鬼が元に戻らないままだったら大きな脅威になることは分かっていた
そうなれば排除するのもやむなし、という判断も理解できることではあるけど
それでも利吉くんは土井先生の命を選んだ
あの瞬間のそれは計算とか可能性に賭けるとかそういうんじゃなくて、そういうの全部ふっとんで、ただただ「土井先生の命は奪わせない」「土井先生を失いたくない」っていう完全に“感情”先行だったように感じるんですよね…
売れっ子プロ忍者山田利吉ともあろう人が、なんですよ
なにを天秤にかけてもどうしても、なによりも、自分自身すら放って一番に土井先生を選んでしまうのは利吉くん自身自覚してるのか追い詰められて無自覚に出たものなのかわからないけど(どっちでもヤバい)
土井先生が忍術学園に行くときの利吉くんの妄想(利土井)
たくさん遊んでもらって、教えてもらって、腕枕してお話もしてくれた(直近の公式供給)お兄ちゃんが忍術学園に行くことが決まって=この家を離れてしまうことに対して、あんなに懐いててまだ子どもだった利吉くんが寂しくないわけがなかったと思うんですよね
でも利吉くんは素直に「寂しい」って言えたのかなあ…言えなかったんじゃないかな…利吉くんは頭のいい忍者の子で、わがままを我慢することもできる歳になっていて、自分がわがままを言えば相手を困らせることも分かっていて、たぶん自分のプライドみたいなものも多少なりあって
お兄ちゃんを送り出して、「土井先生」と呼ぶようになって
そういう時間を経て、今利吉くんが一人前の忍者になって自分の足で自分の意志で気軽に土井先生に会いに行けるようになって、なんてことない顔で話したりしてるのもめっちゃ萌えだな…ってなるんですが
同時に、あのとき押し込めた「お兄ちゃん」に対しての思い、寂しさ、土井先生を自分だけの兄として慕っていた幼い頃の自分は利吉くんの中である程度消化はしてる気はするけどたしかに今も存在していて、それがふとこぼれ落ちたのが手当ての段と軍師映画の「お兄ちゃん」の言葉だったのかなーとかも妄想したりなどしちゃいますね
思い出した手当ての段を見てのふたりの話(利土井)
映画の「お兄ちゃん」呼びを見て、このふたりのこと何も知らないながら「利吉くんにとってもまた土井先生は他の生徒とは少し違った視点で大きな存在なんだろうな」と思ってその時点で利→土井の何かしらの感情の存在は感じ取ったんですけど、
思い出した手当ての段を見て、あのときの土井先生にとっても自分を慕ってくれて、「弟」のような存在であると同時に今振り返ってみれば「生徒第一号」のような存在にもなった利吉くんがいてくれたことはあの頃の土井先生にとっても光のひとつになったかもしれないよなーと勝手に思って…
たくさんのものを失いながらここに辿り着いた土井先生が、自分を素直に慕ってくれ、「与える」ことで喜んでくれる存在がいてくれたのは、「助け、与えてくれた」山田先生たちとはまた違う救いになったんじゃないかなとか
利吉くんに教えて利吉くんが喜んでくれた経験は、「教師・土井先生」としての自信や心の支えになっていた時期があったんじゃないかなとか
というかそもそも利吉くんの存在が土井先生の教師という道の可能性を開いてくれたのか…って今確認のためにしぶ百科事典読んでハッとしたんですけど
土井先生にとって利吉くんって「始まりの場所」で、そういう意味での感謝や情、思いも持ってるのかもなあ
利→土井の呼び方についてのド初心者の方疑問と妄想(利土井)
身近な存在である父親とかが土井先生のことを「土井先生」って呼び始めたのも多少あるかも(単純に影響されて、というところで)
利吉くんが「お兄ちゃん」から「土井先生」に呼び名を変えたとき、土井先生はどう思ったのかなー 利吉くんが呼び方変えた「理由」にもよるか
でもちょっと寂しさもあったかもなっていうのはおたくの欲目ですが… お兄ちゃんって呼んで慕ってくれた子が、土井先生、ってみんなと同じ呼び方でちょっと「きょうだいのような関係性」の親密さから少しだけ線を引いたような感じがあるから お互いに少し離れて大人としてひとりとひとりになる第一歩というか
でも呼び名変更に利吉くんの「土井先生」になったことへの祝福の気持ちも入っていたなら土井先生はそれを嬉しく受け取りもしただろうし、まだまだ教師として駆け出しで慣れない中で「最初の生徒」とも呼べるかもしれない利吉くんが「先生」と呼んでくれるのは心強くもあったかもしれないな〜とか
ここまですべて妄想ですが…
利→土井の呼び方についてのド初心者の方疑問と妄想(利土井)
映画の「お兄ちゃん」呼びが利吉くんと土井先生の関係性のファーストコンタクトのド初心者なので、利吉くんって忍術学園の生徒じゃないし土井先生のこと「先生」じゃなくて「お兄ちゃん」視点のほうが強いのかなーって印象が先にきてたからニュートラルは「土井先生」呼びなんだ?っていうのがちょっと意外だったし不思議なところもあって
なぜなら土井先生が「土井先生」になる前に利吉くんは出会ってるから
出会ってから「土井先生」になる前はずっと「お兄ちゃん」呼びだったのかな?🤔って今ちょっと調べてみたら「土井半助」という名前は忍術学園に勤め始めた後に名乗り始めたってことか?
となると「土井半助」と「土井先生」はほぼイコール(土井先生じゃない土井半助の時代が存在しないため)だから、みんな「土井先生」って呼び始める中で利吉くんも周囲と同じように「土井先生」って呼び始めたのかなー
「お兄ちゃん」からの呼び名変更について公式情報まだないのかな?あったらごめん 何も知らない現時点の妄想として、変えたのは
・みんなの土井先生になった中で自分だけお兄ちゃん呼びはちょっと違う気がした(照れと少しの寂しさ含め
・名前をもらったことへの祝いのような気持ち
・教師就任への祝福
あたりだろうか…
映画後の利吉くん(利土井視点)
映画でほぼ初めて利吉くんを認識した私、映画の描かれ方としてvs雑渡さんがさすがに実力差すごいあったから「利吉くんは忍たま世界の中で“そこそこ強い方の忍び”くらいなのかな?」(ワートリで言うB級上位くらいのイメージ)と勝手に思ったけど調べてみたら「売れっ子凄腕忍者」らしくて、じゃあそんな利吉くんたちに本気を出し切ることもなく勝っていっちゃう雑渡さんisなに…ヤバ…となった
そして、それほど優秀なはずの利吉くんが本気出して負けて、しかしそれでも必死で追いすがって…… 忍びとしてプロの世界に生きる者、自分が排除される=死ぬかもしれないということも当然可能性として理解してただろうに 無謀さも自分自身こそ理解していただろうに 「命を最優先する」約束だって父親としてたのに
それすら覚悟の上で雑渡さんが土井先生を手にかけるという最悪のケースを止めようとした山田利吉さん………???ってあのシーンの解像度が山田利吉さんのことをほんの少しだけ知ったことで上がって時間差でアワワ…になってしまうよ
映画後の利吉くん(利土井視点)
※ド初心者の感想
映画のラストのほうで、利吉くんが雑渡さんに3人がかりですら敵わなかったどころか雑渡さんは全力を出してもいなかったことに気付いていてそれを口にするシーンがすごい好きだったんだけど、
利吉くんって忍たまの世界ではかなり凄腕なほうの忍びっぽくて、フリーの売れっ子忍者で 多分本人もプロとしての仕事に対する矜持、自分の実力に対する矜持を持ってるんじゃないかなと勝手に想像しちゃうんですよね 雑渡さんが本気出してなかったことに、悔しさを滲ませてるように聞こえたから…
自分に実力があることは自惚れじゃなく事実としてある程度測れていて、しかしそれでもどうしたって敵わない圧倒的な強さというものを身を持って知って
しかしその先にあるものが自分の死以上に「土井先生の死の可能性」であることもあの時同時に叩きつけられて
「自分の未熟さ」と「それゆえに土井先生を守れないかもしれないこと」同時に現実のものとして殴られるような思いがあったかも…という…ただの妄想ですが…
「いざというときは土井を選ぶ」その真意を私はまだ測りきれてないけど少なくともそれほどに「これだけは守りたかったもの」を守る実力が足りない自分が悔しくて、もっと強くなりたいとあの後願うかもしれないなと全て勝手な妄想ですが…
パンフの利吉さんのあの話について(利土井)
「利吉はいざというときは土井を選ぶ」の話、どうしても天秤にかけざるを得ないとき他の人(今回で言うとらんきりしん)より誰より土井先生を優先する、って話として読んでたけど
いま他の方の感想ちょっと見てたときに「利吉の位置からはらんきりしんは見えなかった」だからこの言葉は「一度負けた雑渡さんに追いすがって止めようとした=もしそれで自分の命が危なくなったとしても土井先生を選ぶ」という意味じゃないか…って解釈を読んでウワーーーー!!!???ってなってる
まだ映画1回しか見てない勢なのであの位置かららんきりしん見えたかは私には判断つかないんだけど、もしそうだとしたら… そういう解釈もあるのか… そうか…
利吉さん、「命が危なくなったら退け」みたいなこと言われてもちろんですみたいな感じで返してませんでしたあ!!?
確かに雑渡さんは手負いの利吉さんで到底敵う相手ではなく、あの状況で雑渡さんの邪魔をすれば利吉さんが先に排除される可能性もあったよなって…
「らんきりしんより土井先生を選ぶ」利吉さん解釈にもワーーッってなってたけど、「自分の命より土井先生を選ぶ」利吉さん解釈にまた違う方向でワーーッってなってる
ワーーー!!!!桜子ちゃんがきた!!!!!!年末だァーーー!!!!!!
https://twitter.com/w_trigger_off/status/1873288269183795621?s=46&t=9UkHZMJJ0nCmYRk9UsfnhQ
20↑二次創作同人/ワールドトリガー他とても雑多/生活とか同人とかいろいろしゃべる/鍵は念の為なのでもろもろお気軽に〜