私が常々批判している苅部直東大教授がまたまた選挙前に「朝日」で珍論を展開している。
リード文は「平等と平和、出発点に学べ」と一見それらしい。しかし、苅部氏は「平等」は「五箇条の誓文」に由来する、と「けったい」なことを仰っている。
この誓文はどう「現代的解釈」を施しても、苅部氏の言う「普遍的な原理に基づいて平等を実現する」という意味にはならない。
確かに現代のテクスト理論に基づけば、テクストの意味を完全に決定することはできない。しかし、それはテクストを「好き勝手」に解釈していい、ということではない。苅部氏は、このテクスト理論の基本中の基本もご存じないようだ。
さらに面妖なことに苅部氏は日本国憲法前文を「侵略戦争の禁止」ではなく「国際秩序の維持に責任を果たす平和主義」と解釈し直すべきと続ける。
これは要するに米覇権下の国際秩序を維持するために、日本は米国指揮下に「侵略戦争」も厭わず、世界中に出撃すべき、ということ。これを苅部氏は「積極的平和主義」と呼ぶ。
この「朝日」の記事を早速手下の河野有里が「よいしょ」している。何と言っても二人は「スナック研究会」の名目で、サントリー財団から金を貰らいながら飲み歩いた仲である。
一度苅部氏は木庭顕さんの著作に挑戦して方がいいのではないか?
何年か前に、作家の高橋源一郎氏が「教育勅語」を「”ぼく”がきみたちに語りかける」という形式で”現代語訳”したと言って発表したことがありました。
高橋氏がどういう意図でそれを発表したのかはよくわかりませんし、ご本人も「教育勅語」をポジティブに読もうというつもりではないことを匂わせてはいたのですが、それでもかなり呆れました。
「教育勅語」は、「ぼくときみの約束」ではなく、
「皇室を中心にした国をつくるため、お前たちは従順に働け」と臣下に対して発した命令です。
まぁ作家だからちょっとずれているのかなと思っていました。
しかし、今回「五箇条の誓文」
を現代的に解釈して使おうと言い出しているのは政治学の教授です。
「五箇条の誓文」を普通に読めば、
「上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし」
「智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし」
など、身分制を前提にし、天皇を中心にした秩序を打ち立てるための言葉であることが明らかです。
東大の政治学の先生である苅部直教授がそういうことをわかってないわけがありません。
こうした復古的な国家観を復活させたうえ、政策的には「国際秩序の維持」のため米軍に従って「積極的平和主義」を進めていこう、
という「悪魔合体」を分かったうえで主張してるのだから恐ろしいです。
QT: https://fedibird.com/@yoshiomiyake/113366875035785693 [参照]