日本社会は「この年齢でこれを完了する」というステージ方式で、各ステージを順番にクリアしていることが前提になっている。小学校から大学まではもとより、その後社会人になって結婚して子どもができてローンを組んで家を買って… というステージを順番にクリアしないと、途中からいきなり任意のステージに入る、ということが実に難しい。人生のキャリアパスがフィックスされているわけですな。
25年海外にいて、そこからふらっと日本にまた住み始めた私のような人間は、このステージ方式の埒外にあるので、キャリアパスは完全に破綻している。たとえば、クレジットカードを作るのは就職するかあるいは裏技をつかわねば非常に難しい。一種の移民なのである。たとえ例えば大学に就職したとしても科研費をもらうとかもこのステージ方式である。社会システムが排外主義なのね。ホント。
ダメだ…キャラメル…延々食べちゃう…美味しい…
#文学フリマ東京 ぜんぶベンチの写真(とすこしのコメント)の本とかを持って参ります!ポスターのコメントはこれまでにいただいたご感想です(ありがとうございます) haru-ari-ca.booth.pm/items/5282615
TARSとCASEの一番すごいところって喋り方の人間臭さだと思うんだけど、特にCASEは「明るい口調で話す」や「はっきりくっきり話す」というロボットに大前提とされることが設定されてなさそうで、なんかドキッとしてしまう JRや地下鉄の人間が当ててる英語の方がよっぽどロボットくさく聞こえる笑
成人済。shipさせがち。