でも悪いことばかりではなく、『鋼鉄紅女』の翻訳でいい仕事をできたのはこの事件のおかげです。下読みの段階で参考図書を2冊設定していて、でもたいてい読むひまないんですが、このときは着手直後に強制入院になったので、もっていたタブレットのなかの本を読むしかできない。入院生活は最高の読書環境でした。ときあたかもコロナ期。4人部屋はカーテンで完全に区切られ、家族の面会はなし。換気のためにドアは常時開放で病院の業務騒音しか聞こえない。絶飲食の24時間点滴なので食事なし、風呂なし、たまにトイレ程度(小のみ)。あとはオムツをはけば噂に聞く某国のオンラインゲーマーが24時間連続ログインする態勢では。ぜんぜんおなかはすかず、ひたすら集中して本を読んでいられるんですよ。
課題図書の1冊は白川紺子『後宮の烏』。とくに第1巻は中国宮廷の服飾描写が濃密で、中華ファンタジーの基本線を習得する目的でした。もう1冊は秋山瑞人『龍盤七朝 Dragonbuster』。中国武侠小説で、陰陽五行説を基礎にした中国拳法をきちんと取材して書かれています。こちらは上下巻なので、計3冊。これをまる1週間の入院中にそれぞれ3周、マーカー引いてスマホで辞書や検索調べ物しながら精読しました。おかげで『鋼鉄紅女』に着手するための頭の準備が完全に仕上がった状態で退院できたのです。
あれ以後あんな理想的な読書環境には出会えていません。われわれは毎年1週間くらいは点滴台につながれて病室読書をすべきではないでしょうか。させてほしい。